大国主と少名毘古那スクナビコナ


 出雲の国の支配者となった大国主神が御大みほの岬に立っていると、彼方から小さな小さな舟に乗って漕ぎ寄せて来る者がありました。舟はガガイモのさや、着ている服は蛾の皮をはいだものなのです。その小さな神に名を尋ねましたが、ひねくれ者なのでしょうか、耳が遠いのでしょうか、答えません。

「あれは何者だ」

 大国主神は従者に尋ねましたが、誰もが「存じません」と答えます。

 その時、ひきがえるの多邇具久タニグクが進み出て、言いました。

久延毘古クエビコが、きっと知っておりましょう」

 久延毘古は一本足で田んぼに立って濡れそぼっている、かかしです。自分の足で歩き回ることはないのに、天下のことを全て知っている神なのです。それで久延毘古を呼んで訊いてみると、

「あれは神産巣日神のお子で、少名毘古那神スクナヒコナのカミでございます」

と答えました。早速、神産巣日神に問い合わせてみると、神はこう答えました。

「あれは間違いなく我が子だ。千五百ある我が子の中でも、あまりに小さすぎて私の指の間から零れ落ちてしまっていたのだ。葦原色許男よ、そなたたちは兄弟のように力を合わせ、地上の国造りをするがよい」

 そこで、大国主神とこの少名毘古那神は、一緒に国造りをしていくことになりました。アポなしで突然現れて名乗りすらしない無礼者のくせに、国王の片腕になって国政の中枢に関わるとは、つくづく、血筋とコネって重要です。

 とはいえ、少名毘古那神は国造りのパートナーとしては大変有能な神でした。二神は協力して、着々と仕事を進めていったのです。

 ある時、二神は播磨の国の生野の峰の上から一つの山を見て言いました。

「あの山は、刈り取った稲を積んでおくのにいいな」

 そしてこの山に稲を積むことにしました。何故って、この山の形が積んだ稲に似ていたからだそうです。単純明快ですね。それで、この山を稲種山いなだねやまと呼ぶことになりました。

 

 こうして二神は仲良く国造りを進めていきましたが、その後、少名毘古那神は一人で常世とこよの国へ行ってしまいました。常世の国とは黄泉、つまりあの世です。来た時のように熊野の岬から海を渡って去っていったとも言われますし、別の説では弾き飛ばされて去ったとも言われます。伯耆ほうきの国の余戸あまりべの里にあわを蒔いて、やがて粟が実って重く穂を垂れると、それに乗って、ピン、と跳ね飛ばされて常世へ行ったのだ、と。それで、この地を粟嶋あわしまと呼ぶのです。




幸魂さきみたま奇魂くしみたま


 少名毘古那神を失った大国主神は嘆き悲しみました。

「おお……。私一人で、これからどうやって国造りを進めていけばいいのだ。誰か、私のパートナーになってくれる神はいないのか」

 一人って……。少名毘古那神と一緒に地を耕したり鉱山や温泉を開拓したり薬を作ったという八束水臣津野命ヤツカミズオミズのミコトは眼中外ですか。

 そんな時でした。かつて少名毘古那神がやって来たときのように、はるか海の彼方からやってくる者がありました。それは全身が光っていて、海の面をまぶしく照り輝かせていました。

「お前が私をよく祀ってくれるというのなら、私は共に国造りをしていこう。でなければ、この国はとても作れまい」

 光り輝く神がこう言うので、大国主神は尋ねました。

「では、どのようにお祀りすればいいでしょうか」

 突然現れた輩に対して既に低姿勢です。弱気になってます、大国主神。人は、こういう時に信仰を持つのでしょう。

「大和の国の、青々と連なる山々の東の山に祀れ」

 光る神はそう言い、御諸山みもろやま――今の三輪山に鎮座しました。

 この神は、実は大国主神自身の幸魂さきみたま奇魂くしみたまであったと言われます。別の説では、大国主神は自分の和魂にぎみたまを鏡に入れて三輪山に置いたとされます。幸魂とは愛、奇魂とは知恵、和魂は善の心です。パートナーを失った大国主神は自分自身に自問し、愛と知恵をもって国造りを進めたのでした。

 

 ……って。自分を祀ったんかい、大国主神。




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 ガガイモって何?
 藪に自生する、ガガイモ科のつる性植物ですね。葉はハート型で、茎を傷つけると白い汁が出ます。夏にビロード状の星のような薄紫の花を咲かせて、オクラのような実がなります。この実や若芽を食べます。”イモ”と名がついていますが、根は有毒なんですよ。
 ………イメージできるような出来ないような……。
 でも、植物を舟にして流れてくる小人の神様って、一寸法師とか桃太郎みたいだよね。
 植物や農業に関係する神様だとはよく言われていますね。隠れられる時も、粟の穂にはじかれた、とされていますし。植物神であられる大国主神の小さな分身といえるでしょう。
 それにしても、大国主神の幸魂・奇魂ってなんなの? どうして光りながら海を渡ってくるのかな。よくわからないよ。
 光りながら海を渡ってきた神様は、須佐之男命のお子、大年神オオトシのカミであられたという説もありますけど、それは置いておきます。
 出雲には神在祭かみありさいといって、セグロウミヘビを祀る祭が今でもあります。海蛇は竜宮の使いだからというんですが、この蛇を太陽神であると考える説があるんですよね。太陽神は輝くもの。つまり、輝く蛇が海を渡ってくると考えられます。
 ………はへ?
 光り輝く神が鎮座した三輪山には、蛇神が住んでいらっしゃったという伝説が数多くあります。この神様には沢山の別名があるのですが、中の一つ、大物主オオモノヌシは大国主神の別名でもあるのです。
 え? え?
 三輪山の蛇の神様の別名が大国主神と同じで、大国主神の幸魂・奇魂が三輪山に祀られた、っていうことは……?
 大国主神さまと蛇の関連は多く指摘されていて、大国主神と深く関わる少名毘古那神の乗り物、天羅摩船アメのカガミフネも、ガガイモのさやではなく、光り輝く船で、しかも”カガ”は古い言葉で”蛇”を表すという説もあります。今でも、日本の蛇の中には”ヤマカガシ”という名前のものがいますよね。
 あれぇ? 大国主神は植物の神様じゃなかったの? 太陽神? それとも蛇の神様?
 様々な民族が集まり、ぶつかり、やがて一つに集束されて国は作られていきます。……つまり、神様もそうなのです。様々な別の神様が、やがて……。
 ええ!?
 三輪山の蛇神の伝説の中には、ギリシア神話のゼウスとセメレーの話にそっくりのものがあります。二人の間にはディオニュソス神が生まれますが、別説では、ゼウスは蛇の姿になって冥界の女王と交わり、この神をもうけたとされているんですよ。
 ゼウスは天神――広義の太陽神であり、また雷神でもありますが、三輪山の蛇神も雷神であったと伝えられています。


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