ヤマトタケル〜兄殺し


 神武天皇から数えて十二代目、後に景行天皇と呼ばれる大帯日子淤斯呂和気天皇オオタラシヒコ オシロワケのスメラミコトは、土蜘蛛(大和に従わない部族・郎党)や、幾度も反乱を繰り返す熊襲クマソ(南九州に住む、大和の服属部族)を討伐するために九州まで遠征しました。道中で出遭って敵意を示した部族はことごとく殺され、辺りは血の海となり、あるいは追い詰められて自ら谷に身を投げて死んだ部族もありました。

 熊襲の部族には厚鹿文アツカヤ迮鹿文サカヤの二人の猛々しい首魁タケルがいて、かなう者無しと言われていました。天皇はこの猛者タケル市乾鹿文イチフカヤ市鹿文イチカヤという二人の娘がいることを知ると、彼女たちにプレゼントをして誘惑し、ついに市乾鹿文イチフカヤを恋人にして偽りの愛を騙りました。市乾鹿文は言いました。

「熊襲が従わぬことを心配なさらないで下さい。兵を一人二人貸してくだされば、わたくしに良い策がございます」

 市乾鹿文は兵を借りて家に帰り、父に強い酒を飲ませて酔わせ、更に父の弓の弦を切って壊しました。こうして、熊曽の首魁クマソタケルは天皇の兵に殺され、熊襲の討伐はかないましたが、天皇は市乾鹿文を「親を裏切った不孝者」と憎んで殺したのでした。……あんまりだろう、それは。



 さて、大帯日子淤斯呂和気天皇には複数の妃との間に八十人もの子供がいましたが、中に大碓命オオウスのミコト小碓命オウスのミコトという双子の皇子がいました。この双子が産まれた時、天皇は不審に思って碓(臼→女性器・子宮の暗喩。出産の際にまじないに使ったりもしたらしい)に向かって叫んだので、こういう名前をつけたのだそうです。相変わらず昔の人はセンス壊れてます。なお、小碓命には倭男具那命ヤマト オグナのミコトという別名もあります。男具那とは”男の子”という意味。この名は、ちっこいのに荒々しくてハチャメチャでスゴい力を持っている、今でもマンガによくいるようなタイプの少年勇者のコトらしいです。


 ある時、天皇は美濃(岐阜県南部)に美人姉妹がいると聞きつけ、早速自分の妻に加えようと、息子の大碓命を使者として出しました。ところが、大碓命は自分がこの姉妹を妻にしてしまい、父には偽者を送り届けたのです。天皇はそれに気付きましたが、息子には何も言いませんでした。

 こんなことがあった後、天皇は小碓命に言いました。

「お前の兄は、どういうわけで朝夕の家族の食事にも出てこないのだ。お前、願いいたわってかわいがってやって教え諭しなさい」

 けれど、それから五日経っても大碓命は食事に出てきませんでした。天皇が小碓命に尋ねて

「どうしてお前の兄は、久しく出てこないのだ。もしや、まだ注意していないのではないか」と言いますと、答えて「既にかわいがってやりました」と言います。

「どんな風にやったのだ」

「明け方、兄上がトイレに入った時、出て来るのを待って捕まえてつかみ潰して、その手足を引き千切って、敷物で包んで投げ捨てました」

 ”かわいがってやる”意味が違います。つーか、かわいがり過ぎでしょう、それは。

 これを聞いて、天皇は息子の激しく荒々しい気性を恐ろしく思いました。そりゃそうでしょう。なんとか小碓命を遠ざけようと思い、こう命じました。

「西方に、熊襲の猛者クマソタケルが二人いる。これらは我が大和に従わず、礼儀を知らない者どもである。よって、その者どもを討ち取って参れ」

 この時、小碓命はまだ十六歳で、前髪を額にラッパのように広げた結い方の、ほんの少年でした。叔母の倭比売命ヤマトヒメのミコトは伊勢神宮に斎宮として仕えていましたが、小碓命はこの叔母から女物のブラウスとスカートをもらい、祀られていた宝刀を懐に入れて、部下を引き連れて旅立ちました。熊襲の土地に着いた時には二ヶ月経っていました。




ヤマトタケル〜勇者タケルたち


 熊襲の土地に着いた小碓命ら一行は、しばらくの間、その辺りの人々の暮らしぶりや地形などを見て廻りました。

 熊襲で猛者タケルと呼ばれているのは、取石鹿文トロシカヤという男とその弟でした。彼らは屋敷の周りに三重に兵を置くほど厳重な警護をいていましたが、ちょうど屋敷を新築したところで、一族を集めて宴会を開こうと、バタバタしてご馳走の用意などしていました。そこで、命たちはその辺りをブラブラして、宴の日が来るのを待っていました。

 宴の日になると、命は結っていた髪を垂らし叔母の服を着て少女の姿となり、宴の様子をうかがって、女たちの中に混じって中に入りました。熊襲の猛者クマソタケル兄弟はこの美しい少女に感服し、少女の手をとって自分たちの間に座らせて、戯れかかったり酌をさせたり、大いに盛りあがったのです。

 夜が更けた頃でした。そろそろ人もまばらになり、猛者タケルらも酔いが回ってきていました。いきなり、命は兄の猛者タケルの襟をつかんで引き寄せると、隠し持っていた宝刀でぐさっと胸を突き通しました。それを見て弟の猛者タケルは逃げ出しましたが、階段の下で背中の皮をつかんで捕まえると、後ろから宝刀を突き立てました。

「待て、刀を動かすな。言いたいことがある」

 瀕死の熊襲の猛者クマソタケルが言ったので、命は手を止め、地面に押し伏せました。

「あなた様は何者か」

「私は、纒向マキムク日代宮ヒシロのミヤに座して大八島国オオヤシマクニを統治する大帯日子淤斯呂和気天皇オオタラシヒコ オシロワケのスメラミコトの子、倭男具那命ヤマト  オグナという。天皇はお前たち熊襲の猛者クマソタケル二人が従わず無礼であると聞かれ、お前たちを殺せと仰せになって私を遣わしたのだ」 

「まことにその通りだろう。西方に我ら二人をおいて他に猛々しく強い者はなかった。なのに、大和の国に我ら二人にまさって強い男がおられた……。

 ここをもって、私はあなた様に猛者タケルの名を譲りたてまつろう。今より後は、大和の猛者――倭建ヤマトタケルと名乗るがいい」

 こう語り終えると、熟れたメロンを断ち割るようにた易く、命は宝刀を振り下ろして熊襲の猛者クマソタケルを殺しました。それから、部下たちに熊襲の仲間を残らず斬り殺させたのでした。

 こうして、小碓命は倭建命ヤマトタケルのミコトと呼ばれ、その名を称えられるようになったのです。



 熊襲よりの帰途、命は出遭った山の神・河の神・海峡の神――各地の大和に従わぬ者・通行を妨げる賊たちを全て脅して従わせて、道を開いていきました。

 出雲の国(島根県)に入ると、命は出雲の首魁イヅモタケルと友情を結びました。しかし、それは偽りだったのです。命はイチイの木で模造刀を作り、立派に飾りつけて自分の腰に吊るしました。それから、出雲の首魁イヅモタケルと一緒に肥の河に泳ぎに行きました。この河は、かつて須佐之男命スサノオのミコトが流れてくる箸を見つけ、八俣ヤマタ大蛇オロチを退治した場所です。命は先に河からあがると、出雲の首魁イヅモタケルの置いていた刀を取って「刀の交換をしよう」と言いました。それで、後から河をあがった出雲の首魁イヅモタケルは、命の模造刀を佩きました。

 ここに至って、命は出雲の首魁イヅモタケルに「なぁ、刀を打ち合わせようや」と遊びのふりをして誘いました。そこで各々が刀を抜こうとした時、出雲の首魁イヅモタケルの刀は偽物だったので抜くことが出来ません。命は出雲の首魁イヅモタケルを斬り殺してしまいました。


  やつめさす 出雲建イヅモタケルが けるたち

  黒葛つづらさは巻き さ身無しにあはれ

((多くの芽が萌え出でる出雲) イヅモタケルの腰に佩いた刀

 飾りの葛は巻いていても 刀身はないので、あぁ)


 命はこう歌いました。自分で騙して殺したくせに、タチが悪いです。




ヤマトタケル〜草那芸剣クサナギのツルギ


 このようにして従わぬ・目障りな部族を力づくですっかり平らげて大和に帰ると、天皇に報告しました。すると、天皇はまたも

「東方十二国の荒ぶる神・従わぬ者どもと従わせてまいれ」

 と命じ、討伐を命じた印としてヒイラギで作った長い矛を与えたのです。

「東の蛮族どもは狂暴で陵辱も恥じず、村に長もなく境界を侵し争い、山野の往来を防いで人々を苦しめている。その蛮族の中でも蝦夷は特に手強い。男女親子の区別もなく、兄弟でも疑い合う。冬は穴に寝て夏は木に棲む。毛皮を着て血を飲み、山に登るには飛ぶ鳥のようで、草原を走る様は獣のようだという。恩は忘れるが恨みは決して忘れず、束ねた髪の中に矢を、衣の中に刀を隠しているという。仲間を集めて辺境を侵し、収穫を狙って作物を掠奪する。攻めれば草に隠れ、追えば山に入る。そうして昔から一度も皇命に従ったことがない。

 今お前を見れば、背は高く、顔は精悍で力も強い。雷のように猛々しく、向かうところ敵無しだ。

 深慮遠謀をもって悪をこらしめ、徳をもって懐かせ、兵を使わず自ずから従うようにさせよ。言葉を尽くして荒ぶる神を鎮め、あるいは武をもって蛮族を打ち払え」


 命は出発する時、伊勢神宮に寄って神を拝んで、叔母の倭比売命に言いました。

「天皇は、もはや私に死ねと思ってらっしゃるのか。どうして西方の悪いやつらを討ちに遣わして帰ってからまだ幾らも経っていないのに、軍勢も下さらないで、今、更に東の十二国の悪い奴らをやっつけに遣るのだ。これから思うに、やはり私に 「もう死ね」と思し召しておられるのだ」

 命が悲しみ泣きながら出て行こうとすると、倭比売命は甥を呼びとめて、神宮に祀られてあった神剣を授けてくれました。この神剣は天叢雲剣アメのムラクモのツルギ。かつて、須佐之男命スサノオのミコト八俣ヤマタ大蛇オロチの尾の中から発見したものです。また、「もしピンチになったら、この袋の口を開きなさい」と言って、袋を渡してくれたのでした。



 こうして出発し、尾張国(愛知県西部)に着きました。川で、布を水に晒している少女がいます。彼女は美夜受比売ミヤヅヒメ。この地を治める豪族の娘で、神武天皇に神剣・布都御魂フツのミタマを献じた高倉下タカクラジの子孫です。命は彼女の家に泊まり、彼女と結婚しようかと思いましたが、帰り道にまた泊まって、その時結婚しようと思いなおしました。そして彼女と婚約を取り交わして東へ旅立つと、山河の荒ぶる神々や従わない人々をことごとく降伏させ、和平を結んでいきました。


 やがて相模国に入った時でした。そこの国造クニのミヤツコが偽って言いました。

「この野の中に大沼があります。その沼の中に住む神は、大変 霊威のあるちはやぶる神です」

 それで、命がその神を見ようと野に入った時でした。

 国造が野に火を放ちました。騙されたと気付いた時には辺りはごおごおと燃える火の海です。進退極まった命は、叔母・倭比売命から渡されていた袋のことを思い出しました。

 ――もしピンチになったら、この袋の口を開きなさい。

 袋を開けると、中には火打石が入っていました。火攻めにあっているのに火打石?

 そのとき、命が佩いていた神剣・天叢雲剣がひとりでに鞘から抜け出し、辺りの草を薙ぎ払いました。命は薙ぎ払われた草に火打石で火をつけます。燃え進んでくる火はそこで食い止められ、火勢も弱くなりました。”向かい火”といって、燃え進んでくる野火に火で対抗するのです。

 命は燃える野から生還すると、騙した国造たちを斬り滅ぼし、火を放って焼きました。


 この時に草を薙いだので、以降、天叢雲剣は草那芸剣クサナギのツルギと呼ばれることになります。




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 ヤマトタケルは最も有名な日本の英雄かもしれませんね。
 姫様もご存知でしたか?
 うん。女装してクマソタケルを倒す話なんか聞いた事ある。
 でも、すごーく卑怯で残虐なヒトだったんだね。騙まし討ちしてばっかだし、ご飯に出てこないからって、お兄さんの手足をむしって殺すかなぁ?
 まぁ、まぁ。騙まし討ちは戦術のうちですし。
 それに、家族で食事を共にするのは、今よりももう少し呪術的で重要な意味があったんですよ。「同じ釜の飯を食う」という言葉がありますが、同じ火で煮炊きした料理を食べることで同族として認め合っていたんです。この慣習は日本に限らずあったようです。ですから、それを破った大碓命は一族からの離反、謀反を企んだととられても仕方がありませんね。
 そんな大げさな……。家族でしょ。
 そうですね。だから天皇も直接怒らずに、小碓命に「ねぐ教え諭す」ように命じたのでしょうが、命は意味を取り違えたみたいでしたね。
 そんなことで家庭内殺人事件が……!
 いえ、死んだとは限らないですよ。大怪我を負わせただけかも。
 「手足を引き千切って敷物に包んで……」のくだりは『古事記』にあるんですが、『日本書紀』の方にはありません。勿論、そちらではちゃんと生きていて、小碓命が熊襲討伐から帰った時に登場してきます。天皇が東国征伐を今度は大碓命に命じるのですが、怖がって逃げて草の中に隠れたので、天皇は呆れ怒って彼を美濃に追放し、改めて小碓命に東国征伐を命じたことになっています。
 情けないなぁ……。双子なのに、小碓命とは全然違うね。
 小碓命は”神の子”とさえ言われていますからね。
 うーん……。あれ? なーんか思い出すなぁ……。
 何ですか?
 そうだ! ギリシア神話に出て来る英雄のヘラクレス! なんだか、似てるよね。
 双子の兄弟として生まれて、双子の一方は臆病でものかげに隠れるような性格で、一方は勇猛で怪力で。身内の王に疎まれて無理難題を命じられて何度も旅に出かけていって、帰って来るとまた次を命じられるの。
 でも、ヤマトタケルは女装の似合う美少年なんだよね。筋肉ムキムキのヘラクレスとはいまいちイメージ違うかな。
 そんなことありませんよ。ヤマトタケルは成長した後には背が高く精悍な顔立ちの逞しい男性になったといわれていますし。それに、ヘラクレスも女装しています。
 へ、そうなの?
 欺くための変装ではなくて、ホントの女装ですけどね、こっちは。


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