これは、「主人公が魚(水棲生物)と恋仲になり、特殊な歌で呼び出しては逢瀬を繰り返すが、それを知った家族によって魚は殺され、食卓に出されてしまう」という話で、[魚とシンデレラ]の前半部によく似ている。
それとは少し違うが、メラネシアからポリネシアにかけて、広く「鰻の情夫」の話が伝わっている。ヒナもしくはイナ、シナ(これは月の女神の名前である)という娘が毎日水浴びをすると、その泉に棲む鰻が彼女に恋をする。展開は、鰻がヒナを犯すものから逃げる彼女を執拗に追いつづけるもの、果ては正式に結婚して子供を作るものまで様々だが、共通しているのは、遠くない将来に鰻は死に、ヒナによって頭を切り落とされて、その頭からココ椰子の木が生え、海が生じるということだ。月の女神と結婚し殺されることによって、鰻神は転生し、富をもたらすわけである。
この「殺して食べさせる」「死体が再生する」という辺りは、衰え死にゆくもの(枯れる植物、沈む太陽)が大地の女神に呑み込まれて再び甦る、という信仰と関連するモチーフだと思われる。それを甦らせるために「女神がそれ(夫、子供)を殺して食べなければならない」と考えるか、「女神を殺して飲み込まれたものを救い出さなければならない」と考えるかは、それぞれである。
「美しい娘と魚」「ラオと魚」では、主人公は伴侶を追って冥界に去っている。物語はここで終わって悲劇的になってしまっているが、冥界での冒険や現界への帰還まで語られたなら、それは"冥界下り"モチーフ付きの一般的な異類婚姻譚になるはずだ。伴侶が魚(水神〜生命の神〜流転再生する者)として描かれているのだから、本来は"殺された伴侶が再生する"のがこれらの話の完全形だったのではないだろうか。
他方、伴侶を追って冥界に去った者は、この世では死んでしまったことになるが、冥界で神に転生した、という解釈も成り立つ。特殊な歌によって呼び出される水神は、また、冥界から歌舞によって招霊される祖霊であるとも解釈できる。交霊能力を持つシャーマンが、冥界に去って神の仲間入りをしたわけだ。
>>参考[水神とシンデレラ]
とても美しい娘がいた。それに相応しく理想も高く、並み居る求婚者たちを退けていた。ところがある日、彼女は市場で見かけた美しい若者に一目惚れしてしまい、自分から妻にしてくれと頼みこんだ。
「僕は、本当は魚なんだよ」
困惑したように、けれど静かに若者は言った。娘は驚いたけれども、一度ついた火は鎮まらない。
「それでも構わないわ。あなたが私を嫌いでないのなら、妻にしてちょうだい!」
それでふたりは結婚した。
「僕に会いたくなったら河に来て。歌で呼べば、僕は君に逢いに来るから」
それからというもの、娘は毎日河に行っては歌って夫を呼ぶようになった。
おお、河に住む美しい魚、流れる水底 見せておくれ
水ごしにお前を見よう
おお、しろがねにも珠にも似た、人の世の王宮にも勝る
美しい御殿を持つ魚よ
さて、娘の両親は娘が魚と結婚していることなんて知らなかった。ある日「結婚するような相手はいるのか」と尋ねて、「もう夫がいるわ」と答えられてひどく驚いた。当然ながらそれがどんな相手なのかみんな知りたがったが、娘は紹介しようとはしない。彼女は毎日夫のために料理を作って出かけて行くが、家族の誰もそれについていくことを許されなかった。
娘の弟には、多少の魔術の心得があった。そこで、彼はハエに変身すると、こっそり姉の後について行った。そして姉の夫が魚だということを知ったのだ。
家族は驚いた。自慢の美しい娘は「もののけ」に魅入られている。みんなで相談し、何とか引き離そうと考えた。まずは娘を、用をでっち上げて遠くの親戚の家に行かせた。その留守中に、弟が姉の声を真似て魚の夫を呼び出し、待ち構えていた父親がナタで殺した。男は死ぬと魚になり、干物にされて保存された。
二日後、娘は帰ってきた。すぐにも夫に逢いに行きたいところだが、「まずは食事をしなさい」と言われてしぶしぶ食卓についた。今日のメニューは干し魚だ。
一口二口食べた時、彼女は傍らの弟が小声で歌っている内容に気がついた。
なんと悪い妻だろう、夫の肉を食べるとは。しかも愛しい人なのに
妻が留守にしてる間に、魚の夫は引き出され、家族のお膳にのせられた
娘は皿を取り落とし、河に走った。いつもの歌を唄ったが、夫は姿を現さない。そこで娘はこう唄った。
オルウェリ、オルウェリ、河の女神よ
帰ってきました この私
銀の瞳に星の髪
おお、もしも夫が死んでいるならば、真っ赤に染めよ河の水
生きているならば愛しい妻に、逢いに来させて下さいな
無残に裂かれた愛しい妻に
河の水は見る間に真っ赤に染まり、娘は絶望して河に身を投げた。
こうして娘は水の精オニジェギになり、今でもこの辺りでは彼女の微かに唄う声が聞こえるのだ。
参考文献
『世界の民話(全三十七巻)』 株式会社ぎょうせい
※ハイチにも殆ど同じ内容の話がある。
森の際に、父母と息子が住んでいた。息子の名はラオといい、水牛を追って暮らしていたが、池に棲む魚を可愛がっていて、毎日 自分の弁当をやってしまっていた。ワリンゲンの木の側に泉があり、そこにある石の台をコツコツと叩きながらこう呼ぶのだ。
私の魚、私の魚
ほらここに お前の食べ物があるよ
息子がだんだんやせていくので、両親は不思議に思った。ついに父親がこっそり後をつけていき、息子が魚に自分の食べ物をすっかりあげてしまっているのを見た。
父親にとっては勿論、魚より息子の方が大事だったのだ。
翌日、父親はラオを遠くの放牧地にやり、自分が池に行って魚を呼び出すと、ナイフで殺してしまった。魚が死ぬと池は真っ赤に染まり、水鳥たちは去り、花はしぼんで雷鳴が轟いた。父親は魚をカレーに料理させた。
更にその翌日、ラオは弁当の中身が魚のカレーであるのに気がついた。彼は弁当を台所に置いたまま、水牛もほったらかして池に走った。父親は心配して後を追った。
ラオは石の台をこつこつと叩き、こう唱えた。
私の石よ、私の石よ
お前の扉を開けておくれ
すると石が開き、中に家が見えた。ラオは中に飛び込み、途端に石は閉じた。父親は慌てて息子を真似てみたが、石は二度と開かない。泉の水はずっと赤いままだった。
参考文献
『世界の民話(全三十七巻)』 株式会社ぎょうせい
昔、あったそうな。
あるところに爺さまと婆さまがあった。あるとき爺さまが川へ行くと、一匹の蟹がいたので、連れ帰って家の縁の下に飼っていた。爺さんは、うまいものがあるとまっさきに蟹に分けてやって、町へ行くと、いつも忘れないで蟹の好きな焼芋を買って来ては 食べさせていた。
蟹は、もうすっかり爺さまに慣れていた。爺さまが蟹のところに行って、
じじこそ参った 蟹こそ、こそこそ
と呼ぶと、蟹は縁の下からはい出して来て、うまいものを分けてもらって喜んで食べていた。
ところが、爺さまがあまり蟹ばかり可愛がるものだから、婆さまのお気にいらなかった。
蟹が来てから爺さまは私にはうまいものをちょっとも分けてくれないで、蟹にばかりやるよ。いつか爺さまの留守に蟹の奴をいじめてやろう、と婆さまは考えていた。
ある日、爺さまは町へ行って留守になった。
「今日こそ、蟹の奴をひどい目にあわせてやろう」
婆さまはそう言って木割を隠して、蟹を飼ってある縁の下に行った。そして、
じじこそ参った 蟹こそ、こそこそ
と爺さまの真似をすると、蟹は爺さまが帰って来て また何かうまいものを持って来てくれたのだろうと思って、喜んで縁の下から出て来た。
ところが、好きな爺さまではなくて、婆さまが眼を三角にして立っていた。これは大変、と蟹が穴の中に逃げ込もうとすると、婆さまが隠していた木割でこつん、と蟹の甲羅を打った。
そんなにひどいことをするはずではなかったが、あたりどころが悪かったのか、蟹は足をばたばたさせて大変苦しんで、かわいそうに死んでしまった。
「これは、大変なことをしてしもうた」と思ったけれども、婆さまは蟹がとても好きだったので、爺さまが帰って来ないうちに蟹を煮て食べてしまった。それから、蟹の甲羅や殻は裏の竹やぶを深く掘って埋めてしまい、知らぬ顔をしていた。
爺さまは町から帰って来て、いつものように、蟹の好きな焼芋を持って縁の下に行ってみた。
じじこそ参った 蟹こそ、こそこそ
けれども、いつもならすぐ出て来るはずの蟹が、その日に限ってなかなか出てこない。呼んでも出て来ないので、裏の畑に遊びに行ったのかもしれないと思って、家の裏へさがしに行った。そうして、あちらこちらでいくども呼んでみたが、蟹はとうとう姿を見せなかった。
爺さまはどうしたのだろうと思ってぼんやり立っていると、竹やぶの方からきれいな小鳥が一羽とんで来て、前の木の枝にとまって「びいく、びいちく」と鳴いた。鳴き終わると、また竹やぶの方へ飛んで行った。
爺さまが こんなきれいな声の鳥は初めて見た、何という小鳥だろうと思って見とれていると、小鳥は何度も何度も竹やぶのほうから飛んで来て、木の上で「びいちく、びいちく」と鳴いて、竹やぶの方へ飛んで行く。おかしいなと思って、小鳥の飛んで行く方へ付いていってみた。すると、誰かが土を掘ったのか、掘り返したあとがあって、小鳥はそこを足でかいていた。
爺さまは少し不思議に思って、小鳥が足でひっかいたところを見ると、蟹の甲羅や足がそこいら一面に散らかっていた。
「誰がこんなむごいことをしてくれたのか。ことによったら、よく蟹を食べるうちの婆さまかもしれない」
爺さまはかんかんに怒って家へ帰った。
「婆さま、婆さま。かわいそうなことをしてくれた。蟹は竹やぶで死んでいるよ」
そう言いながら、爺さまはあんまり悲しくて倒れてしまった。婆さまもびっくりして、自分のしたことが大変悪かったと後悔した。
「爺さま、爺さま。かんべんして下さい。私が本当に悪かったよ。殺すつもりではなかったが、脅かすつもりで木割で叩いたら死んでしまいました。かんべんして下さいな」
と、泣きながらあやまった。爺さまもやっと起きあがり
「いいよ、いいよ。お前が悪いことをしたと謝るなら、勘弁してあげるよ」
と言って、婆さまを許してやった。
それから、二人で竹やぶの中に蟹のお墓をたててやった。時々きれいな小鳥がやって来て、ぴいちく ぴいちく、いい声で、今が今まで鳴いているそうな。
参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-
※これは「蟹の甲」という題で日本昔話集成には収められている。
魚と蟹はどちらも水神の化身とされるもので、入れ換え可能である。
面白いのは秋田の異伝で、爺が助けた蟹が若い女に化身して、爺が独特の言葉で呼ぶと現れる。爺の後をつけた婆はこれを知り、爺に化けて言葉を真似て呼んで、出てきた女を叩き殺す。その後、いなくなった女を捜す爺は、カラスが蟹の死骸のありかを歌っているのを聞く。
爺がペットを可愛がり、婆が嫉妬してそれを殺す(傷つける)わけで、「舌切り雀」との関連も思わせる。
また、蟹の好物が芋であるわけで、同じように芋が好物で蟹と同じく惨殺される瓜子姫や、惨殺されて死体が芋に変わったというインドネシアの豊穣の乙女ハイヌヴェレとの繋がりまで思わせる。
娘が川でウナギを見つけ、可愛く思って連れかえり、皿の中でこっそり飼っていた。けれどそのうち母親に見つかってしまい、ウナギは自ら逃げ出して、川に飛びこんだ。娘が迎えに行くと、ウナギは言った。
「どうか河原に家を建ててください。あなたと私がずっと一緒に暮らせるように」
娘は本当に河原に家を建てた。家が完成して人々が祝いの歌を唄っていると、沢山のウナギが川辺にやってきて、驚いたことに皮を脱いでみんな人間になって上がってきた。中の年長のウナギが娘にプロポーズし、二人はその晩に結婚した。
朝になるとウナギたちはまた皮を着てウナギに戻って帰っていったが、唯一、娘と結婚した男だけはそのまま戻らず、河原の家で幸せに暮らした。
参考文献
『「物言う魚」たち ――鰻・蛇の南島神話――』 後藤明著 小学館
※河原の家は水界と陸界の境界であり、この狭間の世界であれば、異なる世界に属する二人も一緒に暮らせるものらしい。
シナという娘がおり、その美しさは遠くフィジーにまで聞こえていた。フィジーに住むトゥイフィティという男もそれを聞き、彼女を妻にするためサモアに出かける決心をした。
シナは毎日、料理のために水を汲みに行くのを仕事にしていた。いつものようにひょうたんを持って海辺に行くと、小さなウナギがいる。可愛く思って連れて帰り、お椀に入れて飼う事にした。けれど、ウナギはすぐに大きくなってお椀に入りきれなくなったので、家の近くの泉に放した。ウナギは更に大きくなり、泉でも足りなくなってきた。シナは母に相談して、共同の水浴場に移した。
ところが、それからシナが夜に水浴場に行くと、ウナギが彼女に絡み付いていたずらをするようになった。シナはウナギが怖くなり、別の場所に行って水浴びすることにしたが、恐ろしいことにウナギはそこに移動して待っていたのだ。
シナは逃げる決心をして、ある早朝に旅だった。しかし彼女が休憩して水を飲もうとするたび、水場に必ずあのウナギが待ちうけていた。シナはついに別の島に渡ったが、それでもウナギは追ってきた。逃げつづけるシナはついにある村に辿りつき、神殿の中に逃げこんだ。ウナギも追って来て神殿に入りこんだが、ぐったりとしてこう言った。
「シナよ。私はあなたを妻にするために はるばるフィジーからやってきたトゥイフィティだ。魔法でウナギに変身したが、その魔法を忘れてしまい、もはや人の姿に戻れなくなった。私は疲れ果てて間もなく死ぬが、私が死んだら頭を切りとってあなたの家の前に埋めて欲しい。そこから木が生えてくるだろう。その葉でうちわを編み、実がなったら果汁を飲んで欲しい。あなたが実に口付けて果汁を飲むたびに、私に口付けることになるのだから」
こうして、シナが埋めたウナギの頭からココ椰子の木が現れた。あなたがココ椰子の実を見れば、そこにウナギの目と口を見つけるだろう。
参考文献
『「物言う魚」たち ――鰻・蛇の南島神話――』 後藤明著 小学館
※ストーカーうなぎの巻。怖っ。
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※魚を殺したが故に河の水が真っ赤に染まる、というのは例えば吉備津神社の温羅の伝承など、日本の幾つかの神話伝承でも見たことがある。その地方を支配していた鬼を英雄が退治する。互いに様々な動物に変身して戦い、最後に魚になった鬼を猛禽になった英雄が殺す。すると川の水が真っ赤に染まる。この赤く染まる川を酸化鉄と関連付けて製鉄を表すなどと説明している論を読んだ記憶があるけれど、後に付与された意味はともかく、元々のイメージは単に「禁忌の侵犯」だったのではないかと思う。特に水神の殺害にかかわる。
「鉄のハンス」にも泉の水を濁らせるタブーが出てくるが、聖なる魚の棲む聖なる水を犯すタブーというイメージが何かあったのではないだろうか?
開く石の中の世界は冥界を表している。世界的な冥界の表象である。この話では、殺された魚とラオは同一の存在だったといえるのかもしれない。
この系統の類話は『グリム童話』にもある。(「ウンケの話・第一話」 KHM105)
昔、小さな男の子がいた。毎日お昼に、母親にもらった三角パンとミルクを庭に腰掛けて食べていたが、決まって壁の割れ目の中から頭に輪の模様のついた(王冠を被った)蛇が這い出してきて、ミルクに頭を突っ込んで飲むのだった。男の子はこの蛇が好きで、それが現れない時には
蛇ちいちい、蛇ちいちいや、早くおいで
出ておいで小さい坊や
お前のパンをあげましょう
おいしいミルクをあげましょう
と呼ぶのだった。すると蛇は喜んでやってきてミルクを飲む。そしてどこからか光る石や真珠や黄金のおもちゃを持ってきては男の子に与えるのだ。
そんなある日、男の子は蛇がいつもミルクしか飲まないので、「パンもお食べ」とスプーンで蛇の頭を小突いた。それを男の子の母親が目撃して、息子が危ないと思い、飛び出してきて蛇を薪で殴り殺した。それ以来男の子はどんどんやせていって、とうとう死んでしまった。
※蛇の姿をした霊(妖精)が供物たるミルクを飲む信仰は、「恋に溺れた継母」でも窺える。この物語には「祖霊との交霊」のモチーフの他に「竜(蛇王)が宝物を持っている」という信仰も見える。