花世の姫『御伽草子』 日本

 そもそも人間は儚いもの、有為転変は世の習いとて、善きが衰え悪しきが栄えることもございます。

 年明けて春が来れば谷の氷柱つららも溶け、花の季節は楽しく明け暮らすものの、程なく春は過ぎ、ホトトギスの鳴く季節となり、梢のセミが声立てて暑さの増す夏は、ただ、冷たい清水のもとが恋しいばかり。やがて早くも初秋の風の音、松の枝が鳴り月も天高く輝く嵯峨野の夕暮れ。耳を澄ませば程なく虫の音も枯れ枯れになり、時雨の降る神無月。夜寒の季節に薄着であれば、侘暮らしの身には夜明けを待てない真夜中でありますが、流石に命を捨てることは出来難くて、月日を過ごしながら辛い身の上を嘆くのです。

 さて、駿河するがの国に名高い富士の裾野に程近い山里に、並ぶ者のない長者がおわしました。和田一門の豊後守盛高ぶんごのかみ もりたかと申します。財産は飽きるほどに満ち満ちて、少しも侘しいことはないのでしたけれど、子供が一人もありませんでした。夫婦はこれを嘆きました。四方に蔵を建てて財宝を積み上げようとも、これを誰に相続させて、後の菩提を弔ってもらえばいいのかと、殊の外に悩んでおいでなのです。

 けれども頼もしいことには、夫婦ともに信心深く、慈悲深さも勝っておいででした。そこで持仏堂を建てて観世音を本尊に祀り、香を焚き花を摘み、朝夕の読経の際にも、

「願わくば観世音菩薩さま、男子でも女子でも、子というものを一人授けたまえ。後の菩提を弔わせます」と言って祈りましたが、甲斐はありませんでした。

 そんなある時、北の方が縁行道(念仏を唱え、あるいは暝想などしながら仏堂や屋敷の縁側、長廊下などを歩くこと)をしてみましたところ、庭の梅の木に雀の親子が来て仲良く遊びました。これをご覧になって、つくづく思われたことには、「鳥でさえもこのように子供を持って可愛がる、羨ましいことよ。私たちはどんな報いによって子供が授からないのでしょう」と、ぐだぐだと言って涙を流されて、持仏堂へ詣って伏し拝み、それこそ嘆かれました。

 その効き目でしょうか、その夜の真夜中頃のこと、北の方は夢をご覧になりました。いつものように読経しておりますと、観世音の前から梅の花が一輪、北の方の膝の上に飛び来たのです。手にとってご覧になれば、色も匂いも類なく、盛りの花に見えました。美しく希少で嬉しくて、右の袂に収められました。すぐさま夢が醒めて、不思議に有り難く思われて、側に寝ていた盛高どのを起こして、

「ねぇ、聞いてください。たった今、夢を見ましたの」と言って、前述のように語られますと、

「それこそ吉夢だ。さては、われわれが嘆き言うことを哀れと思し召して、子種を授けてくださったのだ。花を右の袂に納めたのは、女の子が授かるということであろう。よしよし、それは何にしても有り難や、めでたや」

と夢解きをなさって、喜ばれるのも当然のことでした。夜が明ければ持仏堂へ詣られまして、一心に拝まれ、いよいよ観世音を信仰することは限りがありません。

 そうこうしているうちに、北の方は不思議な心地がして、体調を崩しておいでのうちに月の障りも止まって、懐妊が明らかになりました。下々の者たちも「最近は御子のないことだけを嘆いていらっしゃいましたが、これはおめでたいことです」と限りなく喜びました。その後、月日に関守を据えずにいれば、九ヶ月・十ヶ月もたちまち過ぎて、腹帯もつつがなく解け、玉のような姫君が取り上げられました。願っていたことであれば喜びに限りがありません。しかるべき乳母をつけ、侍女たちまでも良きを選りすぐり、掌中の玉のようにいとおしんで、父母の喜びは たとえようがなく、余りあるものでした。

 こうして年月を送るうちに、姫君は早、九つになられました。その春の頃より、ささいなことですが、北の方が体調を崩しがちでおいででした。さてはおめでたであろうと思われましたが、そうではなく、次第にお体も弱り、やつれて見えてきますと、盛高どのも心苦しく思われて、どうすればいいのか、と悲しまれ、色々と祈祷もなさいましたけれども、日が過ぎるごとに北の方は弱り果てられ、盛高どのを呼んで、

「この頃は色々と祈祷をなさいましたけれども、そのご利益はありませんでした。私はもう、この世の頼みもございませんが、私がまさにそうなりましたら、あなたは独り身でお暮しになるべきではありませんから、ただ、姫君こそが不憫でございます。

 姫君をよく育てて、良い殿方にもめあわせて、後も継がせてください。これだけが心にかかっております」

と仰いますと、盛高どのもこらえようがなく悲しそうに見えました。また、北の方は姫君を引き寄せて髪をなでて、

「ああ名残惜しい姫君や。私が亡き後は、父上より他には誰を頼みにできるでしょうか。心を優しく、人に憎まれないようになさい。

 あなたを授かったとき、花を賜った夢を見たので、花世の姫と名づけました。けれど花の盛りは一時のもの。それが心にかかっておりましたが、私が先立つことが嘆きの中の喜びです。

 父上の後を継ぎなさいね。乳母たちよ、よくよく厚遇して育てるのです。くれぐれも」

と述べられて、あしたの露と消えてしまわれました。惜しまれるべき年齢でしょう、三十三というのは。盛高どのをはじめ、姫君のお嘆きは譬えようもありませんでした。盛高どのは後を追おうと悶え焦れましたけれども、仕方がありません。そのままにしておくべきではありませんので、野辺の煙となし、ご供養しました。涙はいっそう尽きることがありませんでした。

 

 嘆きながらも日数を送られるうち、三年も過ぎて、姫君は十一になられました。

 年の暮れになると、一門の人々が寄り集まって、盛高どのに「いつまでも独り身でいても、北の方は帰ってきませんよ。いい人と愛の語らいをして心を慰めなさい」と度々勧めましたけれども、いっそう聞き入れないでおられますと、「こんなふうにしてもダメですよ。姫君も寂しがっておられるでしょうに」と言って、さる人と再婚の取り決めをして、早く早くと勧めたので、盛高どのもそう一概に断りがたくて、やむを得ず、嫌々ながらも再婚なさいました。しかし、盛高どのの御心は姫君にあり、朝夕は前の北の方のご供養のための経念仏に心を入れ、新しい北の方のもとへは立ち寄ることさえありません。

 こうして日数を送るうちに、姫君は十四になりました。成長なさるほどに美しく、容姿が優れて見えました。

 盛高どのはこの様子をご覧になって、乳母の明石あかしを呼んで、

「どう思うかね、今年は早、姫君も十四になると記憶している。どんな男とめあわせようかと思うのだ。これにつけても、前の北の方のことが偲ばれるが……。誰に相談すればいいだろう」

と言って、袖を顔に当ててさめざめと泣きました。乳母も同じ気持ちになって、涙を流して申しました。

「この家を継がせ給うべき人が、独り身というのはいかがなものでしょうか。祖母君に相談されれば、ご一門の中に、相応しいお方など、いらっしゃるのではありませんか」

 盛高どのもまた「なるほど」と言って、ある時、後見人の磯邊左衛門忠冬いそべさえもん ただふゆを呼んで、

「明日は思い立ったことがあって、西方の祖母君のもとへ参るぞ。そう心がけよ」と申しつけますと、「かしこまりましてございます」とて御前を立ち、やがて長持一棹ひとさおを用意して、色々なさかなを取り揃え、山と積みました。

 そうこうするうちに次の日になって出立となり、盛高どのは乳母の明石、侍女の侍従どの、乳兄弟の胡蝶の前の三人――夜昼となく姫君のお側を離れない人々――をお側近くに呼んで、

「どうかお方々よ。姫君の成人に関して相談すべきことがあって、祖母君のもとへ行ってまいる。二、三日で帰る。その間、姫君に不自由な思いをさせないように。間もなく帰るだろう」と、ねんごろに言い置いて出かけて行かれました。

 

 姫君は、この頃は一日たりとも父君の姿をご覧にならないことがなかったので、なんとも名残惜しく思われます。涙ぐむのも道理なのだと、後にこそ思い知るのですけれど。

 さてまた、人が多いですが、三人の方々のことを説明しましょう。姫君が生まれたとき、喜びは限りのないものでした。盛高どのは良い乳母をと探し出し、見つかってめでたい、嬉しいとて仰るには、「源氏物語を伝え聞くにも、明石の上こそ末も繁栄したものです。めでたい話です。あなたを明石の乳母と呼びましょう」とて、普段は明石と呼びました。また、侍従どのというのは、年齢も少し高く、心栄えはしっかりしているということで、侍女にしたところ、並々ならずに乳母と同じ気持ちで姫君を育てられました。また、胡蝶の前というのは、明石の娘です。祖母のもとで育てられていたのを、五つのときから召し寄せて、姫君のお友達としてお側を離れることもなく、一緒に遊び、共に語らっておられます。

 一方、継母である北の方は考えました。

「姫君をこのままにしておいたら、いよいよ殿は私から遠ざかっていかれることでしょう。どうにかして、この留守に始末してしまわなければ」

 そこで自分の乳母を呼んで、このことを仰いました。乳母が言うには、「それは容易いことでございます。私の従弟に武士がおりますが、頼みますれば。賢い者でございますから、誘拐させて何処へでも捨ててしまえば、何が難しいことがあるでしょうか」

 北の方は喜んで、「それでは頼みなさい」と言って、まずは姫君の三人の腹心を騙さねば、と企むのは恐ろしいことでした。いかにも親身な様子で、

「たまたま殿がお留守ですが、明日はこちらに遊びにいらっしゃいな」などと仰れば、本当だと思って喜んだのは痛ましいことです。後になって思い知ったことでした。

 そうこうするうちにあくる日になりますと、北の方はいかにも呆然としている風をして、姫君、また三人の腹心を呼んで告げることには、

「口にすれば馬鹿馬鹿しいことですが、言います。今宵、姫君の身の上に、思いの外に悪いことが起こるという夢を見ました。姫君を思うのなら、神や仏に願をもかけなさい。並大抵のことならば、このようには申さないのですが」

と仰いましたので、乳母たちは胸が打ち騒ぎ、まっさきに涙をこぼしました。「殿の留守中でございますのに、どうしましょう」と言いますと、北の方は「それは問題ありません。私が言うとおりになさりなさい。今日は姫君は私のところで預かって世話をします。安心してください」と言って、姫君の従者たちを色々脅したりすかしたりしまして、乳母は八人の侍女たち、身分の低い召使たちまでも皆打ち連れて、心ならずも出かけました。北の方は自分の乳母の妹を案内人として付き添わせましたので、わざと時間を稼ごうと、あちらこちらと連れて行くのこそは憂鬱なことでした。

 それから、姫君はねんごろにもてなされ世話をされましたけれども、心に染み入ることはなく、愉快にも思いません。生まれたときから片時も離れませんでしたので、乳母たち三人は何処まで行ったのかしらと、そればかりが心にかかって、しょんぼりと打ちしおれておられます。

 

 さて祖母君は、盛高どのの来訪を喜び、珍しく思って、積もるお話が弾みます。

「姫君が育って、容姿も美しくなりましたので、どんな者にめあわせるか相談して、私の代を譲ろうと思いまして参りました。これについては、あれの母親のことばかりが思い出されます」

 盛高どのがそう言って、互いに袖を濡らしました。

 祖母君が仰るには、

「先日、人が申したことですが、これより南の辺りに、京の中納言という立派な人がおわしますが、ご子息を数多く持っておられる中でも、三男に当たる方は、十七、八とかで、未だに独り身でいらっしゃいます。見目形・芸能・心栄えも人に優れているとのことで、これをお伝えしましょうと思っていた矢先でしたから、めでたいことですわ」とのことなので、盛高どのは嬉しく思って、「それこそ良い話です」と、大変に喜びました。

 さてさて、状況は様々であって、盛高どのは家で起こっていることは夢にも知りませんでした。これは祖母君のもとでのことです。

 

 一方、北の方はとにかく取り繕い、顔を曇らせて、声を潜めて姫君の側にすり寄って言うことには、

「このようなことを申すのは心苦しいのですが、言わねばならないことなので申します。

 あなたのお父上には、どんな悪魔が取り憑いているのでしょうか。近頃はどこかに女を持って通っていらっしゃると聞きましたが、昨日も祖母君のもとへは行かずに、女のもとへ行っておられたのですよ。

 夜には、ここへ その女を連れてこられるでしょう。あなたの住居にその女を置いて、あなたは他所にやって住まわせると決められたとのことで、迎えの者が参っておりますよ」

 姫君は正偽を判断する方法もなく、ただ泣かれるばかりでした。ややあって「せめて乳母が帰るまでは待ってください」と仰いましたが、北の方は「それまでは迎えの者が、まさか待ちはしません。早く立って、使いの者に会って訊ねなさい」と言います。

 せめて自分の住んでいた場所をもう一度見ようと、居室に帰って、目の前が暗くなり気も遠くなって、伏し転んで泣きました。それにしても、父の御心はそうであるはずはないと思われましたものの、北の方は「さっさと出てきなさい、お迎えの者が責め立てていますよ」と注意します。これを聞けば、乳母への恋しさはいや増すのでした。

 母君の愛用の御経、唐錦の守り札、黄金こがねの壷、白銀しろがねの水入、蒔絵の櫛を、刺繍をした小袋に入れて、形見として肌身離さず持ちました。これらは命と共に身に添えて持っていようと思い、涙と共に袂に入れて外に出ました。お心の中は、どんなに辛かったことでしょうか。

 北の方は、声を立てないように、と袖を引っぱって、裏口に例の男がいるところへ連れて行って、共に立ち出でて、「どうです、どうです」と仰います。このようにあれこれ量り考えたことであれば、殊の外でございます。

 北の方は「乳母が帰りましたら、後から参らせます」と慰め、「それまではお供をなさい」と男に約束させますと、姫君に練貫ねりぬきの薄小袖、上には唐紅梅に唐織物を重ねて着させました。練貫を打ち被って出て行かれる有様は、涙にむせんでおられましたが、美しくさえ見えました。

 善悪をわきまえないこの男は、姫君を背に負ぶわせて、裏門から枯野道に出て、山すそを走って自分の家に着きました。そして自分の妻に向かって言うことには、

「おい、女房よ聞け。この姫君は殿の不興をこうむって、どこへなりとも捨てろということだ。着ている衣装を剥ぎ取ってしまえ」

 これを聞いて、姫君は(なんということかしら、私には何の罪もないものを。夢か現か、何事でしょう。せめて乳母が一緒であれば、少しは落ち着いていられるでしょうに。恨めしい世の中だわ。)とて、気を失わんばかりでした。

 男の妻はあまりの痛ましさに、側に近寄って「そんなにお嘆きなさいますな。命さえあれば、いつか喜びもあるでしょう。長命な亀は蓬莱で逢う、と言うではありませんか。衣装もこのままにして差し上げたいのですが、あの夫があまりに叱りますほどに、お脱がせいたします」と申しますと、姫君が仰るには、「たとえ殺すとしても、下着は着せてください。死ぬまで恥をかかせるのでしょうか。お願いします」と泣きますと、哀れなので、「では差し上げましょう」と言い、「上にはこれをお召しください」と自分の着ている麻のひとえの着物を脱いで着せてあげ、ゆらゆらと下げていた髪の毛を巻き上げて結い、自分の髪にかけていた手ぬぐいで顔を隠し、そうはいっても人目がわずらわしいので、菅笠を被せてやりました。

 男の妻はあまりの痛ましさに、「落ち着かれる場所までお供して差し上げたいですけれど、人目をはばかることですから、思っても仕方がありません」と、袖を顔に押し当て、男に「必ず必ずお命を助けてくださいね。野の末、山の奥にでも捨てて、殺さないで帰ってください。ああ痛わしや」と言ったのは、情けが大変深いと思われます。姫君は夢のように思うばかりで、前後も分かりませんでしたので、お礼も恨み言も言いませんでした。

 男は姫君を背負って、野の陰・山の陰を行くうちに、人も通わぬ深山に分け入り、谷に分け下り、小高いところに姫君を降ろすと、

「これより奥へ行こうとも、後へは戻りなさるなよ。この山のあちらには、武士が待ち受けている。戻って後悔なさるな」

と言いましたが、姫君に何が言えるでしょうか。ただぐったりとして、うつ伏せていただけでした。

 男は薄情にも姫君を打ち捨てて、後も見ずに帰りました。そのまますぐに屋敷に参りますと、北の方は裏口へ出て来て、かの者に会って、「どうやりましたか」と問うてきます。男が「あれは山二つ越えた、姥が峰といって人も通わない山です。その奥の谷に捨ててまいりました。夜には早、獣や妖怪の餌食となりましょう。明日まで命はありますまい」と言いますので、「よくやった」とて、引出物を渡して帰らせました。

 

 さて、乳母が皆々を引き連れて帰ってみますと、ひっそりとして姫君の姿が見えません。怪しんで、どうしたことでしょうかと申しますと、北の方は泣きまねをして、「やはりそうでしたわ。私が言ったとおりに、姫君が昼頃に裏口に出たと思いましたら、消えてしまったことは驚きです。辺りを探しましたけれども、見つかりません」と言いましたので、乳母たちは皆 呆然として、

「これはそもそもどうしたことでしょう。何のために今日は出かけたのか、ひどい」とて、姫君の居室に入ってみましたけれども、甲斐はありません。

「お生まれになったときより、懐を離れられることもなく、近頃はお側を片時も離れることもなく、今日もさぞかし待っていらっしゃるだろうと、道のりさえ心苦しく、足早に帰ったのに、これは夢か現か。私はどうするべきでしょうか」と、天を仰ぎ地に伏して、嘆くことも当然でした。

 

 一方、祖母君の方では、盛高どのは様々にもてなされて、あくる日には暇乞いをして帰られました。途中で飛脚に行き会って、「何事か」と問われますと、「昨日の昼頃に、姫君が消え失せられました」と申しましたが、まるで本当だとは思われません。馬を早めて帰り着いて、中に入ってご覧になると、姫君はおられません。乳母をはじめとして、散り乱れたようになって、全員泣き伏しております。事の次第を尋ねますと、乳母は涙を抑え、昨日のことを申しました。また、北の方は対面して、嘘ばかりを取り繕って語りつつ、嘘泣きをしました。

 こんな風で、父君のお心の内が推し量られて哀れでございます。人の子が数多あまたある中で、見目形みめかたちが悪くとも別れれば悲しいものなのに、唯一人の子、見目形に優れて美しいのであれば、類なく愛おしく思っていらっしゃるのに、虚空に消え失せたと言われれば、どうしようもなく悲しくて、腹を切ろうと思われましたが、そうはいっても、後の菩提を誰が弔うのかと思われ、気を取り直して姫君を探されたのでした。

 方々へ手分けして、富士の裾野の草を分け、山々の下草の根を分けて、行かぬところもなく行方を尋ね、死骸なりとも見つけてお目にかけようとて探しましたが、いっこうに見つかりません。力なくこのことを盛高どのに申し上げますと、万策尽きて、「ならば死後の弔いをせよ」とて、ご供養は色々行いました。

「それにしても、姫君が限りある命であったならば、せめて目の前でどうにかなるのなら、これほどに思い悩みはしないのに」と、盛高どのの嘆きの色は濃くなるのでした。

 乳母も、ようやく気がしっかりしてきて申しますには、「姫君と火の中・水の底までもお供できましたら、これほどは辛くはないでしょう。不幸な身を嘆きながら生きるより、水の底までも訪ねてまいりたい」などと、悶え苛立って申しますれば、他の者の袂も涙で萎れるのでした。

 ここで、後見人の磯邊左衛門の妻が乳母の袖を引いて、人気の無い方へ連れて行き、密かに語られる様子。

「水の底へ入られましても、どうして姫君に会うことができるでしょうか。まず、確かな巫女がおりますので、これに会って、姫君のお命の有るか無いかをはっきりと訊かれて、その後で心を定めなさいませ。私が紹介いたしましょう。人に漏らしてはダメですよ」

 と、忍びやかに申されました。まぁ嬉しくて、巫女へのお礼に姫君の衣装のまっさらなもの、小袖を一襲ひとかさね持たせつつ、他の人には、「あまり思い悩むのも苦しいですから、仏に詣で、御菩提について考えます」とて、忍び出て、後見人の住居へ入られました。後見人の妻は心得て乳母を連れて巫女の方に行って、物を尋ねます。「占う相手のことを詳しく話してください」と巫女が言うので、お年のことをはじめとして、生まれたときのこと、また、夢のこと、梅の花を賜って生まれた子なので花世の姫と名づけられたことを、一々語られました。巫女は承知して、占いの文書を沢山取り出し、よく吟味し占って申しますには、

「これはめでたい御占で、末喜びと出ております。

 まず、梅を夢にご覧になったこと、めでたき瑞相でお生まれになった御子です。梅の花というのは、他の花よりも香りの強いものですから、全ての花に勝って人々が好むものです。華々しく散って、後に実となって無駄にもならないことから、賑わい栄えることに通じます。お命もそうであるに相違ありません。

 今は思い悩んでおいででも、年明けの初春には梅の花が咲きます。同様に、あなたは心を強く持ってください。初秋の頃には、必ず思う人に逢って、喜ぶことでしょう。

 その方が、今は辛い状況にあり、葛の下に埋もれていらっしゃいましょうとも、春風が吹き払えば、上のごみは散り果てて、宝玉が下から現れて、光が生ずるものです。ただ気長にお待ちなさい。

 初秋の頃までは音沙汰もないないでしょう。ただ気長に待つことです。

 この次第に間違いはありません。もし間違いましたら、明王の占いも廃れることでしょう。お心安く思し召せ」

 乳母は大変嬉しく思いました。そして小袖を取り出して渡そうとしますと、「いやいや、これは当たった後で賜りましょう」と申して返しましたけれども、「姫君が帰られた後には褒賞があるでしょう。これは今のお布施です」とて出しますと、それならば、と納めました。

 乳母は嬉しく心強く思って、まず盛高どのが籠もっている所へ行って、お側近くにすり寄り、このことをよくよく物語りますと、少し心が晴れる気がしましたが、そうであっても何処に、たとえ命はあってもどんな辛い目に遭っているのだろうかと心配するのが気の毒でございます。それにしてもこれほどに親子の縁の無い子を授けたのか。これほどに悩ませるのだろうかと、半ば観世音をも恨み、もしも命永らえているのなら、無事な姿を今一度見せてくれたまえと念じられて、再び枕を引き寄せて寄りかかりますと、まどろみの中の夢で、観世音の前にて拝まれれば、前に短冊が一つありました。取ってご覧になれば、歌です。その歌に

ただョめ 春は車の輪のうちに めぐり逢ふよの水は盡きせじ

(ただ頼りにして待て。"春"は車輪の中を廻る水のように尽きず、巡ってくる。)

 と、このようにありました。めでたくも頼もしくも思われて、いよいよ願をかけました。それでは神仏へ願おうとて、皆で心を合わせ、願掛けは数々されました。人は姫君の弔いかと思いました。

 このようにして盛高どのは、今の北の方のもとへは――初めは無理をして折々に立ち寄っておられましたが――今はもはや、万事がひどく冷たいばかりで少しも目さえやらないので、北の方は愚痴だけで暮らしております。

 

 それはさておいて。姫君は山に捨てられて、何処とも知れぬ山中にただ一人、誰を頼りにすればいいのでしょうか。初めは気を失っておられましたが、暫くして正気づいてご覧になりますと、日は早くも沈む頃なので、どちらの方も暗くて見えません。頃は九月半ばであれば、山は霧が深く、風も激しくて、心細さは限りないのでした。

「どんな罪の報いで、こんな身の上になるのでしょう。恨めしい世の中だわ。ああ、父上が恋しい。この山には獣や妖怪がいるでしょう。餌食になってしまうのは悲しいわ」

と、悲しみに暮れた心でおられます。心を鎮めて、「どうせ死ぬだろう身だとしても、獣や妖怪の餌食にならないうちに命を取りたまえ。母上は私の身がこのようになることを知っておられたのでしょうか。恨めしい最期だわ。この山の神も哀れと思し召して、私を助けたまえ。罪の無い身なのですよ」とて、一首歌を詠みました。

千早振ちはやぶる ~も哀れをかけ給へ 知らぬ山路にまどふ我が身を

(神よ、哀れをかけてください。見知らぬ山路で迷っている私の身に)

 このように詠まれて、また、お経を唱えられて、

「南無や大慈大悲の観世音。願わくば私を助けたまいて、今一度恋しい人に逢わせたまえ」と仏に祈って、目を上げ、辺りをご覧になりますと、山の峰には月の光がさしていますが、この辺りはまだ暗いのでした。何処とも分からぬ山中に、ただ一人でおられますお心のうちは、恐ろしさが限りありません。

 谷の方を見やりますと、焚火の光が見えましたので、何かが住んでいる所であればこそ、それが見えるのだろう。行って訪ねてみようと思って、泣く泣く立たれて、その火を頼りにして、どこに行くのかも分からない山道を分け潜って辿って行かれるうちに、小笹の原に出ますと、袖も裾も濡れてベッタリとして、涙も滴り落ちるしずくも争うようで、目の前は暗く気も遠くなるばかりでした。

 火のある方をご覧になれば、人の家ではなく穴のようで、その中に、人とも見えぬ姿のものが火を焚いている様子が見えました。恐ろしい姿で、身の毛はよだち、魂も抜けそうです。けれども、逃げるところもありません。立ちすくんでおりました。

 岩屋の中から しわがれた声で、「そこに立っているのは何者だい。こっちへ来なさい」と呼ばわりました。この時の姫君のお心は言い表すことが出来ません。到底逃れられることではないので中に入ろう、と思って入ってご覧になりますと、中にいた者は、顔は角盆のよう、眼窩は窪んで眼球が飛び出し、口は大きく裂け、牙が鼻の脇まで伸び、鼻は鳥のくちばしのように尖っており、額に皺が寄り、頭は鉢を被ったかのよう。見るに耐えず、恐ろしさに倒れ伏しますと、この姥は姫君をつくづくと見て言いました。

「お前は人間だね。ここに来て火にあたりなされ。昔物語を聞かせてやろうぞ。濡れたのなら、体を乾かすがいい」

 優しい言葉に気を取り直し、姫君は火の側にこわごわ近付き、濡れた裾を乾かしました。その後、この姥は話を始めました。

「ああ可哀想に、あなたは果報の人であるが、思いもよらず、このように迷われたのだね」とて、涙をはらはらとこぼします。鬼の目にも涙とは、このような事を申し伝えたのでしょう。姥が語りますには、

「これ、聞きなさい。この姥は、元は人間だったのだが、あまりに長生きして子供も亡くなって後、ひ孫に養われたけれども、私を憎んで家の中に置いてくれないので、山を家として木の実を拾って食事とした。

 山で日々を送るうちに、ある時、あの峰から男がやって来て、私をたいそう愛した。普段はあの富士の嶽から通ってくるが、この岩屋に私を誘って住まわせ、昼には来て薪を折って岩屋の口に積み置き、夜はこの姥がそれで火を焚いてあたるのだよ。

 私には、今も仏の悟りを知らない無知蒙昧な心が現れるので、慈悲の心を持とうとしているのだ」

 そう姥が語りますと、それではここは鬼の通うところなのだと、なお恐ろしさは増しました。姥が言いました。

「近頃は頭が痒いのだ。虫を殺しておくれ」

 何事だろうかと肝を潰しますと、姥が鉄の火箸を使っていましたが、いかにも赤く焼いて、「これで虫を押さえるのだよ」と申します。見れば、髪の毛は赤い赤熊しゃぐまのようで、その間に角のようなこぶが十四、五ほどあります。それを取り巻いている小さな蛇のような虫たちに、火箸を押し当て押し当てしますと、ころりころりと落ちました。姥は喜んで拾って食べて「あら美味しい」と言います。恐ろしいことですが、この岩屋で一夜を明かしました。

 間もなく夜が明けますと、姥が申してきたことには、

「頭の虫を落としてもらって嬉しかったよ。あなたは果報の人だけれど、人の憎みがあればこそ、このように心労された。最後には良いことがあるべきだろう。

 ここに来て働いてくれたのが嬉しいから、小袋を一つあげよう。結婚する男が定まったなら、開けてみなさい」

とて、小さな袋をくれました。また、

「暫く物を食べていないようだね。これは富士大菩薩の花米はなよねだよ。これを食べれば、二十日は物を食べないでも体に力がつく」と、三粒くれました。食べまい、と思ったのですが、逆らい難くて食べました。

 その後で姥が申したことには、「今、帰したいのだが、私の夫の鬼が来るよ。会えばつかまるだろう。姥が隠してやろう。隠れなさい」とて、岩屋の奥の穴に姫君を押し入れました。生きた心地も無く、涙にくれました。そして鬼風が吹いて、鬼が来て岩屋の中を覗きますと、目の光が稲妻のようです。鬼が「なまぐさいぞ」と言いますと、姥が答えます。

「最近谷へ捨てた首の匂いだよ。風が吹いて匂うのさ」

 すると、鬼神に横道なしと言いますが、笑って帰りました。

 その後、姫君を穴から出して姥が申すことには、

「そのままの姿で帰れば、どんな者も怪しむだろう。私が脱ぎ捨てた皮を着せてあげよう。夏のあまりの暑さに脱いだのだよ。この姥衣うばぎぬを着なさい。あの峰を登り越えると、南の方から川の流れがあるが、川下へは行ってはならない。川上に行って、行く手に煙が立ち昇ったら、そこへ行けば人里へ着くだろう。そこで人が声をかけたら、そこに留まりなさい」

とて、山中まで送って道を教えてくれたので、教えられたとおりに歩いていくうちに、本当に彼方に煙が立っているのが見えました。それにしても嬉しいこと、人里に戻れたことが不思議なくらいです。鬼の餌食にならずに命が助かったことは、なんとありがたいのでしょう。

 行くあてもないのでどうしようとは思いますが、そのままでいるべきではありませんので、たどたどと行くうちに、早くも人里に入りました。そこで姥が教えてくれたことがあったのを確かに思い出します。米の研ぎ汁の流れに付いて行くべし、というので、尋ね調べて行きまして、中納言どのの屋敷の裏の小門に着いてご覧になれば、屋根つきの門は立派で賑わっていて、これにつけても、父君の住んでおられる家もここには劣るでしょうか、恨めしい世の中だわ、と考え続けながら立ち止まっておりますと、女の人が一人出て来て、姥衣を着た姫君をつくづくと眺めて申しました。

「このお婆さんは何処から来たのでしょうか。私のところに来て、火焚きの仕事をなさいな」

 そのような仕事をしたことはないものを、と心の中で思われましたが、何処へ行くべきかも知りませんので、溢れる涙を袖で抑えました。

 この女の人は秋野といい、優しい心の持ち主で、「まずはこちらへ入りなさい。可哀想に」と自分の住処に連れて行って いたわりまして、その夜に

「この屋敷の主人は中納言どのと申して、立派なお方でございます。私はお屋敷の中で働いて、手や顔を洗うためのお湯を沸かしておりますが、あまりに忙しいので、この釜の火を焚いてください。頼みたいのです」

と申したのでした。姫君は親切な人を頼みにしようと思われ、

「ご期待通りに出来るか分かりませんが、焚いてみましょう」と仰いました。

「それならよかったわ。私が水を注ぎますから、火だけ焚いてください。

 可哀想に、どういう人なのだろう。弱々しげに見えるお婆さんだわ」

 秋野は親身に応対し、お湯を沸かす手水釜の脇に寝床をこしらえてくれました。朝は暗いうちから起きて釜の火を焚くのは痛ましい事です。とはいえ、屋敷の奥で人の出入りもなく、火を焚くだけの仕事ですので、さして苦労はないのでしたが、慣れぬことなので、涙は尽きないのでした。

 

 こうしてその年も暮れ、程なく新年になりますと、新年の遊びは様々に行われ、人々は華やいでおりましたけれど、姫君は(私もこのような身の上でなければ、こんな有様ではないでしょうに。)と心の中で思うにつけ、人知れず涙を流すのでした。

 今日は、早くも正月十五日ということで、中納言どののお屋敷では家族の祝宴が始まり、思い思いの薫香をたきしめて、両親の前に三人息子が並んで、お香も香炉も違っていて面白く思われました。盃も来て、酒盛りも終わって、若君たちは両親の前を立ち、それぞれの館へ帰りましたけれども、末息子の宰相どのは、なんとなく物足りない気がして、寝室にも入らずに横笛を吹いて月を眺め、春の夜はおぼろげで趣があるな、などと眺め佇んでおりました。

 人が寝静まった頃、あちらこちらを歩いておりますうちに、見やれば、遥か奥に、灯火がかすかに見えました。怪しいなと思われて、足音を潜めてこっそり見ますと、粗末になにやら取り巻いている中に油火がかすかに見えます。なんだろうと思って近付き、覗いてごらんになりますと、高貴な女の人――年の頃は十四、五歳に見えます――が、長い髪を蒔絵の櫛で梳いておりました。

 顔の美しさ、目元は気高く、愛らしさも洗練されていて、絵に描こうとも筆がどうして及ぶでしょうか。何処に難点をつけるべきでしょう。玉を磨いたに違いありません。

 どうせ辛い世の中に住むならば、このような人と親しくなってこそ、一生の思い出にもなるだろうに。このようなところに何故こんな人がいるのか、不思議だ。このまま中に入ってよく見よう、と思ったのですが、気を変えて、どう見てもまさか人ではあるまい。私をたぶらかそうとする変化のモノであろう。今は帰って、明日の夜には正体を見破ろう、と思いました。とはいえ胸が締め付けられ、離れがたく思って、後ろ髪を引かれるばかりで、己に強いて帰りました。

 寝室に入りましたが、その面影が体から離れない気がして、目を閉じることも出来ません。ここの所、どれほどか多くの女性を見たけれど、あれほどの人は見なかった。心に残る人もいなかった。ちょっと見てからというもの、想いが果てる様子も無い。たとえ魔縁の者であろうとも、一夜の情けをかけてもらえるのなら、命を捨てても惜しくはない、と思います。

 あくる日になると、夜になるのをただ待っておられます。やがて日が暮れますと、悩みましたが、側近の松若丸――松若を呼ばれて、「どうでもお前に言うべきことがある。話を漏らすか」と仰いました。松若がかしこまって申しますには「どんなことでございましょうとも、主の仰ること、何故に漏らすでしょうか」とて、様々な神にかけて誓いましたので、ならば言おうとて話しました。

「夜は人と逢うことがあって、他所に行くから、いつものようにここにいて待つように」

「それは心得ました。しかし、供も無しというのはいかがかと」

「心配ない」

 若君はそう言って、人が寝静まるのを待ちました。人々が昼の疲れであちらこちらに寝転んで皆眠ってしまうと、密かに忍び出て例の場所に行ってご覧になりますと、かすかな灯火のもとで、金泥こんでいのお経に水晶の数珠を添えて、観音経を唱えて、その後 提婆品だいばぼんを読み、

「南無や大慈大悲の観世音、このお経の功力くりきによって、父上をお守りし、今一度変わらぬお姿を見せてくださいませ。提婆品は、このお経の功力によって、冥土におられる母上を成仏得脱させたまえ」

と、回向えこうされて、袖を顔に押し当てて、一首詠われました。

人知れず 涙の掛かる我が袖を 干す暇もなき春に逢ふかな

(人知れず涙で濡れている私の袖を乾かす間もなく、春が来てしまいました。)

 このように詠まれて、側の衝立に寄りかかって目を閉じられますと、若君はよい機会だと思って、中に忍び入って、お側に近寄りました。姫君は昔懐かしい香りがさっとしたのを不思議に思って目を開いてご覧になれば、貴く美しい男の人がおわします。これはどうしましょう、ひどいわ、と呆然として、灯火を消して姿を隠されました。

 若君が仰いますには、「あまりに騒がないでください。私はあなたに縁があったからこそ参ったのですよ」とて、慕わしげになさいますと、姫君はとても恥ずかしく恐ろしく思われて、涙をはらはらとこぼし、うつむいておられるお姿は、露を含んだ糸萩か、春の青柳に糸のような芽が生えて、風になびくかのようでした。引き寄せて、折るに折られぬ風情があって、趣深く見えました。

 若君が仰るには、「どう思われましても、前世の縁があればこそ。思いも寄らない時、昨夜のことですが、あなたを垣間見て以来、恋の想いが胸に満ち、忘れることがありませんでした。ですから、今日の日を待ち暮らし、日暮れ後からここに立ち忍んで、お経を誦まれたのも よくよく聴いておりました。回向の言葉までも知っております。由緒ある方の子であられるのですね。とりわけ、口ずさまれた歌は、言の葉の草の露まで聴きましたよ。私がご返歌いたしましょう。たとえ涙で袖が濡れようとも、私が干してさしあげましょう」とて、このように返歌をされました。

さのみただ 涙に濡るる君が袖 春の陽影ひかげに干さざらめやは

(そのように、ただ涙に濡れる君の袖を、春の日の光で乾かさずにはいられないとも。)

 けれども、姫君は恥ずかしげな様子で、ものは尚更言わず、涙ばかりをこぼされるのでした。若君はこれをご覧になって、「あぁ警戒しているようですね。こちらから名乗り聞かせましょう。この家の主を誰だと思われますか。元は都の者で、内裏禁中に仕えていましたが、都に住むに憂うことがあって、今は縁あったこの国に住んでおります、中納言忠房という者です。私は、その末の子の宰相という者です。鬼神ではありません。想いを受け入れて下さい」と仰いました。

 姫君はあまりに言葉を返さないのも冷酷かと思って仰いました。

「それは本当にそうなのでしょうが。私は、言うまでもなく貧しく賤しい身でございます。この有様でどうして受け入れられるでしょうか。お恥ずかしいことですわ。もしもお忘れいただけないなら、何度お立ち寄りになられようとも、帰ってくださいませ」

 とて、打ち萎れておられます。若君はご覧になって、

「あぁ何と仰いましょうとも、聞くわけにはいきません。お心に任せて、いつまでも恋に悩んでいましょう、ただただ」と仰って、小袖を一枚脱いで敷物にして、一緒に添い寝をなさいました。

 姫君も草木ならぬ身、拒絶も本意でないことであれば、情けに引かれるのが世の習い。強い心も弱り果て、逢瀬の仲となりました。

 若君の嬉しさはたとえようもありません。千の夜ほどにこの夜が長く続けばいいと思われましたけれども、春の夜の習いとて夜はすぐに明け、鶏の声もしきりに聞こえますので、人目をはばかることであれば、後朝きぬぎぬの袖を交換して、若君は帰られ、姫君はまた釜の火を焚きました。秋野が来てお湯を運んで行きますと、昨夜のことは誰も知らないことですが面映く悲しくて、火を消して引きこもって横になりました。秋野は、

「可哀想に、お婆さんは胸の病気ですよ。養生してください。夜は私が火を焚きましょうね」

と心配して言いました。姫君は心の中では、またも思い悩んでおられました。

(哀れ、まことに女の身ほど恨めしいものはないわ。男は一夜枕を並べるために一生を誓うと聞いていたというのに。また来て下さるかも分からない。こうしてこのことが人に知られれば、どんな憂き目に遭うことでしょう。ただ、淵瀬に身投げしよう。)

 それでも、その日も暮れますと、再び若君がやって来ました。そのまま四、五日は日を置かずに通われ、後の世を固く誓われたのです。

 その後、若君は(このままここに通っていて、もし人に怪しまれたらまずいだろう。乳母の屋敷に住まわせて、気楽に通おう。)と思われて、手紙を書いて例の松若に持たせて遣わしました。乳母は受け取って手紙を開いて読みますと、「思いも寄らぬ所で人を拾いました。宿を貸して下さい。そのようにして下さるなら、この夕方に連れて行きます。くれぐれも」と書いてあります。どんな人でしょう、これは思いがけなかったとて、松若にどうなんですかと尋ねましたが、露ほども知らないと申します。

 たとえどんな仰せであろうとも、背くべきことではないので、返事をしたためて持って行かせました。若君はご覧になって喜ばれ、日が暮れますと例の場所に行って、

「私の乳母と打ち合わせました。さあ安心しておいでなさい」と仰いますと、こうなったらとにかく仰せのままに、とて出発されました。例の姥衣を厳重に包んで、「これは手放せないものです」と言って持ちますと、「分かりました」とて、若君がそれを持って姫君の手を引き、まずは自分の住居に入れて、出発しました。若君の着替えの小袖がいくらもありますので、選んで着せて、若君も小袖を着替えて、女の姿で二人並んで、松若に太刀を持たせて先を行かせ、自分は後に付いていったのは見事なものでした。

 こうして乳母は昼から娘のちよいと相談して、「今回その方を住まわせるところは見苦しくはありますが、何も心配は要りませんよ」と、長押なげしの塵を払い、畳を敷き替え、整えて、夜に一行が来るというので灯火を立て、内々に待ち、お迎えに出て待っておりますと、松若が案内してまいりましたので、出で会いまして、奥へ招き入れて、ちよいがお世話をし、座敷へじかに入れました。その後乳母も参りますと、若君はご機嫌よさそうに「気に入らないかもしれないが、客人があるのだから頼むよ。ちよいもよく仕えてくれ」とて、姫君と仲睦まじげに見えます。

 どんなものでしょう、ご両親にも報せておられぬものを、と思いますが、よくよく見れば、姫君は美しく気高く、絵に描こうにも筆が及ばないように思えます。若君が思いを寄せるのも無理からぬと思うのでした。盃を運ばせて、千秋万歳とお祝いを申しあげました。

 若君は、その後は夜な夜な姫君のもとに通われ、いよいよ類なく愛しく思われましたので、どうしておろそかに扱えるでしょうか。姫君も安堵なさいましたが、父君や乳母への恋しさばかりが心にかかるのでした。

 他方、屋敷では、次の朝 秋野が来て見ますと、未だに火が焚いてありません。不思議に思って部屋に入って見ましたが、姿が見当たりません。

「さて、あのお婆さんは何処へ行ったのでしょう。可哀想に」と言いました。

 また、しゃもじを取る飯炊きは、「あのお婆さんは、冬の間 秋野を助けるために、仏が来ておられたのかもね。人ではまさかあるまいよ。お椀からご飯が減ることがなかった。中にちょっとずつ穴を開けて。いつも精進といっては魚も食べなかったよ。大体、物を食べている姿を人が見たことがない。虚空に消えうせてしまったのは、世の不思議というものだよ」と申しました。それこそ道理です。鉄の壷に少しご飯を取って、お命をつないでおられたのです。

 

 それはさておいて。ある時、若君たちが母君の前で酒盛りをされたとき、いずれも芸能を様々に披露し尽くされました。中でも宰相どのの様子が優れて見えましたので、母君はいとおしく思われて、嫁にはどんな美しい人がいいかしら、この子に親しく逢わせようと、思案される心の内が、儚い親心というものでございます。

 さてまた、若君は昼でも時々は姫君に逢いに行かれましたが、乳母の屋敷でしたので、人が不審に思うこともありません。ある時、外から美しい梅の枝が若君に届けられますと、これを姫君に見せよう、と思われましたが、人目をはばかることなので、思うままにはしないで、梅を盛って薄紙で包み、上に一首書きました。

戀しさを 包みてぞやる梅の花 にほひめよ君が袂に

(恋しさを包んで送る梅の花、私の想いを込めた香りを残しておくれ、あなたの袖の中に)

 このように書いたものを松若に持たせて、人目を忍んで持って行かせますと、ちよいが受け取って姫君に渡しまして、ご覧になって、恥ずかしげに顔を背けておられます。ちよいも拝見して、「ありがたいお心ですわ。お返事をお書きくださいませ」とて、硯と紙を取り添えて、早く早くと催促しますと、逆らいがたく思って、筆を取り上げ、ようやく書きました。

梅の花 取りて心の色香まで なほ恥づかしき春の今日けふかな

(梅の花と共に心の色香まで贈って来られるとは、いっそうご立派過ぎる春の今日ですわ)

 こう書いて紙を置きますと、ちよいが取り上げて引き結んで、ご返歌として松若に渡しました。松若が帰って若君に渡しますと、受け取ってご覧になって、美しい筆跡を類ないものだと思われて、いよいよ恋情が増すのでした。また、日が暮れれば乳母の屋敷に入って、「今日の梅の花のご返歌、あなたのお心の程を感じ入りましたよ」などとからかって、乳母にかくかくしかじかと仰いますと、「あらいいですわね、私たちも文章を書きましょう」とて、

梅の花 八重紅梅こうばいの色添へて 變らぬ春ぞ千代を經ぬべし

(様々で華やかな梅の花、その花の咲く春が永遠に続きますように。)

と、このように詠まれました。その後で打ち解けて、盃を運ばせて ちよいがお酌をし、「では一首付けて詠みなさい」とて、「それそれ」とせきたてますと、「何を申しましょう」と顔を赤らめます。せきたてますうちに、このように詠みました。

梅の花 色添ふ春の今日けふ毎に 千代ちよ萬代よろづよの影ぞ久しき

(梅の花の色が深まる春の今日は皆、永遠の姿が見えて久しいですわ。)

 いよいよ縁が深まって、夫婦の誓いもめでたくなりましたが、両親に報せておりませんので、後でどうなるだろうと、これが心の関となりましたけれども、乳母・ちよい・松若も同じ心で、人に話を漏らしたりすることはありませんでしたので、誰にも知られることはありませんでした。

 かくて、人知れず夜な夜な通われて、親しく思われているうちに、どんな妨害があろうとも変わる仲には見えなくなりました。これを母君は夢にも知りませんでしたので、朝に夕に末の若君のことがお心にかかっておられるうちに、ある時、若君の姿を見送って、

「これ、乳母よ聞きなさい。あの宰相の君は成人しましたね。近頃はすっかり大人びて見えますよ。迷っておりましたが、あまりに遅くなりました。相応しい姫君と婚約させようと思うのです」

と仰ったので、乳母は承って、(では若君がどうしようもなく想っておられる方は、どうすればいいのでしょう)と思って、顔を紅葉のように赤くしました。その後で若君に会って、このことを申し上げますと、

「親の言うことを聞くのも、話によるぞ。想う人と別れ、見たこともない人と結婚するのでは、生きる甲斐もないものを。それでも結婚しろと仰せならば、足に任せて何処へでも行ってしまおう。想う人を捨てるものか。このことを申し伝えてくれ」

と、頑として仰います。これを承り、乳母は「若君は何を申そうとも、あの姫君を捨てる様子がない。離れがたく想っているお仲を、どうして引き裂けるでしょう」と、痛ましく思って、後で母君に何かのついでに、

「この頃、小耳に挟んだことですが、若君には他所に通うお方がおられるご様子、疑わしいことですが」と申しますと、母君はそれを聞かれて

「浅ましい! それはどんな者でしょうか。いくらなんでも非道なこと。親が子について計らわぬことがあるべきではないと思いますが、誰が仲介したのでしょう。松若が知らないことがあるでしょうか。何故問わないのです」と仰いますので、

「いえ違います、松若も知らないと申しておりました。深く隠れておりますので、きっと誰かが仲介したのでしょう」と申しますと、

「素晴らしく良い方をと迷っていた甲斐もありません。どんな者なのでしょう」と後悔されるのも、親の道理だと申せましょう。

 そんな中、母君のお局(個室を与えられている上位の女官)、年は六十ばかりの人なのですが、彼女が進み出て、

「昔も今も似たような例はあります。嫁比べをされたらいかがでしょう。その時こそ、つまらない女であれば、恥ずかしく思ってお捨てになるでしょう」と申されましたので、もっともだとて、かしずく侍女たちを使いに立てて、

「母上様が仰るには、お庭の梅の盛りが過ぎましたので、明日は花見をいたします。どなたもお嫁御のお出でがありますので、宰相どののお方も連れてきてください。比べますとの仰せでございます」

と申しますと、若君の返事は

「貧しく身分の低い女ですが、重要な仰せですから、連れて行きましょう」と、気後れすることのないものでした。

 使いの侍女たちはこのことを母君に伝え、前を下がると、「あの若君は尋常じゃないわ。恥も知らないのだから。あのように鉄面皮なお人だとは思わなかった」などと囁き合いました。母君もどうしたものかと覚束なく思われるのでした。

 さて、日も暮れますと、若君は乳母の屋敷に入られて、このことを物語りました。姫君はこれを聞いて、

「恨めしい仰せですわ。私は元より覚悟していたことなのですから、何処へなりとも迷い出て行きます。ただ、母君の仰せの通りにしてください」と仰います。若君はこれを聞き、

「あなたが出て行かれたなら、どこの海・淵瀬の底までも付いて行きますよ。いつまでこのように私たちの仲を隠しているのです。これからは、世間に広く披露して連れ添いましょう。装束のことなら、妹の姫に頼みましょう」と言って、「乳母よ、頼むぞ」と言いますと、乳母は承知して、

「そうまでする必要はございません。ちよいの結婚のために、装束は用意して持っておりますから、この度の役には立つでしょう。安心してくださいませ」と申しますと、喜びは大変なものでした。姫君の容姿も、誰に劣ることがあるだろうかと、乳母も嬉しく思って、夜が明けると行水などさせ、眉をぼかして作って、美しくしました。

 それはそうと、姫君が思い出されたのは、山姥の教えです。夫婦の縁が定まりそうな時、この小袋を開けて見よ、と言っていたことがありました。開けてみましょうと思って、屏風の陰に立ち隠れ、あの小袋を開けますと、五色の玉が出て、この玉が目の前で変化しました。金銀、綾、錦繍の類、唐織物、侍女の装束、付け毛、掛け帯、男の道具、太刀、刀まで色々様々数を尽くして、山のように出ています。不思議に思って、乳母を呼んで、「これを見てください」と仰いますと、乳母も本当に目をみはるばかりでした。

「これはどういうことですか」

「観音さまへの誓願のご利益ですわ」

 姫君がそう言うと、「それはめでたい誓願ですわ。あなたは観世音の申し子であられましたか。今日の出席はいよいよおめでたいですわ」とて、身支度させました。唐綾、唐織物、くれないの袴まで足りないものはなく、長い付け毛をゆらゆらと垂らしまして、花のような出で立ちをなさいますと、美しいお姿だ、誰に劣るだろうかと、嬉しさは限りありません。

 こんなところで使いが来ました。

「なんて遅いお出でですか。早く出しなさい。何処にいらっしゃるのでしょうか」と申します。

「ならば、お迎えの輿をよこして下さい」と申しますと、人々は囁いて、「何者を乗せようとして、このように乳母が言うのだろう。滑稽なことだ」などと言います。そうはいっても若君のためであれば、輿を参らせよとて、乳母の屋敷に御輿を担ぎ寄せました。はっきり姿を見せないまま輿に乗せて、ご殿の中に担ぎ入れました。乳母もちよいもお供しました。

 若君の兄達はこっそりそこに居て、輿から出るところを見て笑おうと企んで、様子をご覧になっていました。ところが、乳母とちよいの手伝いで姫君を輿から下ろし、立出でさせたお姿は、まことに絵に描こうとも筆が及びがたい。兄達は笑うことを忘れ、目と目を見合わせて、このような人が何処から出てきたのだろうと囁いて、立ち帰られたのでした。

 さてさて、お座敷には思い思いの出で立ちで人々が集まり、兄達の嫁、妹の姫も、我劣らじと居並んでおられるところへ、とばりを開けて姫君を入らせますと、皆呆然として、まったく天人の降臨かと思うばかりで、言葉もありません。中納言どのも母君の北の方も、予想外のことだと思われました。あまりの嬉しさに、北の方は席を立たれて姫君の手を引き、上座にすぐに座らせて、心から大切にされたのでございました。

 姫君は、お年の頃は十四、五ばかりで、玉を磨いたお顔は惚れ惚れするようで、目元は気高く、愛らしさも気品があって、髪の毛の垂れ具合もたおやかで、柳の垂れ枝を春風がかす様子に似て、どこにも難をつけるところがありません。このような人だと誰が知っていたでしょう。あまりの不思議さに、乳母を近くに呼んで尋ねましたけれども、「全く私たちは知らないのでございます。若君に尋ねますと、ただ、拾ったとだけ仰います」と申しますので、「さては本当に天下った天人ということもあるかもしれない。この世の人とは見えません」とて、喜びに限りはありません。

 さて、盃が運ばれてお酒も三こん過ぎた後、もてなしも様々で、珍しいお香を取り出して香炉を回しましたが、今日のお客人とて、姫君の前に香炉を置きました。そこで姫君はしずしずと手を掛けまして後、袂から取り出した金銀に彩色した香箱に、お香をカラカラと入れて、香盆になんとなく置きますと、中納言どのはご覧になって、「それをこちらへ」と仰います。御前に持って行きました。取ってご覧になりますと、天の羽衣という名香です。その名の由来を、天人が好む香なので雲の上までも香り立つから、とするものです。おやまあ珍しいなとて、砕いて香炉で一焚きいたしますと、まことに趣き深い独特の香りが漂って、人々の迷いの罪も消えるばかりで、天人がどうして来臨しないのでしょうと、感じない人はいませんでした。

 人々は興味を感じて、宰相の君はどんな果報・奇特な人であられるのでしょうか、このような天人を、どこで拾われたのでしょうと、不思議な思いに駆られました。

 その日も暮れて、盃も片付けられて、人々は皆、帰りました。粗末なところにどうして住まわせられるだろうかとて、普段、中納言どのの娯楽用にと殿中に作ってあるお座敷があるのですが、ここに入居させなさいとて、侍女たち多数、女中や下男に至るまで、数々を添えて差し上げ、大変に敬いかしずきました。そうして若君のお心のままに連れ添わせたのでございます。

 北の方も、姫君が会いに来なければ顔が見たいと思いました。いとおしく思われて、常に出入りされました。また、姫君をはじめとして嫁たちを連れてこさせて、気晴らしのためにとて部屋に入らせます。色々な遊びがありますが、読み書きすることも、琵琶、琴の秘曲まで、姫君が優ることはあっても劣ることはないのでした。

 また、吉日を選んで二人の新居の建造を行い、数多の優れた職人を集めますと、程なく完成しました。引越しだというので、様々なお祝いがあります。中納言どのからも倉を二つ、家の慶事だとて贈られました。宝の倉と米の倉です。おめでたい例だとて、羨まない人はありません。

 

 このようにして、お心のままに連れ添われて、比翼連理の契りは余すところがなく、何の不足もないのでしたけれども、姫君のお心には、父君や乳母への恋しさ、また、慣れ親しんだ使用人たちがこのようにここにいればと、これだけが心にかかって、朝夕に袖が濡れることが絶えないのでした。

 そうこうするうちに、春は花に戯れ、青葉に混じる遅咲きの桜、名残惜しい春の日々も過ぎ去りますと、卯の花月の夏が来まして、扇の風も涼しく、冷たい泉をすくって慰む夏の日々も過ぎ去りまして、早や、初秋の頃になりますと、今日はもう七月七日・七夕の祭とて、星への供え物は様々です。宰相の君も歌を詠まれて、七夕に供えさせまして、筆のついでに戯れの歌を書き、「これを御覧なさい」とて、姫君の膝の上に置きました。姫君がご覧になりますと、

秋待ちて 今日七夕たなばたの喜びも 我初秋はつあきの嬉しさぞ揩キ

(今日の七夕への喜びは、秋を待っていた私にとって、嬉しさを増すものです。)

 このように詠んでおられましたので、同意して素敵だと思われます。また、筆に墨をつけて、「一首詠んでください」とせき立てられまして、断り難くて、

七夕の 逢ふ初秋と聞くからに いとど露けき我が袂かな

(牽牛と織女が逢う初秋と聞けば、いっそう涙で湿っぽい私の袂ですわ。)

と書いて、袖を顔に押し当てますと、宰相どのはご覧になって、

「さてはあなたは、忘れがたい夫でも持っていて恋しく思っておられるのですか」と仰いますと、姫君は「正気ですか、親子の情愛は何ものにも劣らないものですわ」と仰いますのを若君は聞きました。

「それほど恋しい親を持っているなら、名前を聞かせてください。たとえ蝦夷ヶ島、どんな所であろうとも、何故に尋ね探させないことがあるでしょうか。水臭いことです」と仰いますと、姫君ももはや包み隠すことが出来かね、

「特に隠すべきことではありませんが、差し障りが多くありますので申さなかったのです。

 私の父は、富士の裾野の山里に住む、豊後守盛高でございます。私一人を子に持って、世に比べるものがないとて いとおしんで下さいましたが、母上は私が九つになった春の頃、亡くなりました。父は後を追いたがるほどに嘆きましたが、私を思うが故に、嘆きながらも月日が経ちました。三年の春も過ぎれば、親族の人々、親しい方の計らいで、しかるべき人と再婚の取り決めをして家に入らせたのですが、父のお心は母上の菩提を弔うことにのみ、朝に夕に気を入れており、そのお方のもとへはそのまま立ち寄られませんでしたので、私がいるせいだとて、いつも憎んでいたのですが、知らない顔をして過ごしていました。

 ある時、父のお留守に、そのお方は私を騙して、武士に依頼し、何処かも分からない奥山に捨てました。けれども観世音のご利益でしょうか、獣や妖怪の餌食にもならずに、山姥のような者の慈悲により、その山で一夜を過ごし、あくる日にはその山姥が親切に人里まで送ってくれ、道中は影のように付き添ってくれました。

 山際に米の研ぎ汁が流れ出ているのを見て、山姥に「その水を辿って行きなさい」と教えられたままに任せて、たどたどと歩いていきますと、この家の東の門に着きました。そこで足を休めていたところ、ここの召使の女の秋野と申す者が、私を見つけて自分の宿に連れて行き、いたわって親切にしてくれ、その後、手水釜の脇に住まわせてくれ、冬を暮らしておりますと、どういう奇縁があったのでしょうか、あなたに見い出されたのです。

 姿を変えて、本当の姿を人に見知られなかったのも、山姥が 脱いだ衣を貸してくれたためなのです。こちらへ召し出された時に宝物が出たのも、その山姥がくれた小袋から出てきたのです。

 このような物語、もっと早くに申したくはございましたが、継母の名が知れ渡ることを悲しく思い、今まで包み隠していたのですわ」

と語りますと、若君も一緒に涙を流され、

「何故にもっと早く仰らないで、我慢強くも今まで隠していたのです。では、手紙をお書きなさい。届けましょう」と申しますと、それさえも秘密裏に、と望みます。

「簡単なことです。我が身に変わらぬほど忠実な者がおりますので、それを使います。安心して下さいとのことですよ。急ぎましょう」と若君が仰いますと、姫君は嬉しく思われて書きました。

 近頃は恋しさが更に増しておりますが、心配をおかけしてご不興を買った身ですから、嘆きながら月日を送っております。
 あまりにも恋しく、ただ懐かしいので、急ぎ急ぎ来て下さい。変わらぬお姿を見せてくださいませ。

と、丁寧に書いて渡しますと、宰相どのは受け取って、守役の源太という者を側近く呼んで、しかじかの事情を言い含めますと、この男は賢く、足も速い者なので、その日は暮れて、あくる日の夜遅くに出発して、昼前に盛高どのの屋敷に着いて、案内を乞うて、

「これは都よりのお言伝でございます。盛高どのに謁見をお願い申し上げます」と言いますと、「ならば聞こう」とて盛高どのが出てきました。

「どのような方からの伝言なのか?」と仰るので、まずは手紙を差し上げました。取って上書きをご覧になれば、「盛高さまへ。花世の姫」と書いてあります。これは夢か現かと呆然として、開いてご覧になりますと、最近の心労の種、恋い悲しんでいた姫君からの手紙です。是非をわきまえることも出来ずに、顔に押し当てて、さめざめと泣いて読まれました。細やかに書かれた手紙が嬉しくてたまらず、使いを呼んで人払いをし、詳しく尋ねて聞きました。源太が若君から伝えられたように語りますと、盛高どののお喜びは限りがありません。

 姫君と別れた時は命がどうなろうと構わなかったが、これこそ、にもかかわらず生きながらえた意味だったのだと、後見人の左衛門を呼んで、「これは秘密にしろ。この使者をもてなし、早く帰してやれ。それから、中納言どののお屋敷へ、道案内が出来る者はいるか」と訊かれますと、「私の連れの里ですから、行き来があります」と申しましたので、喜ばれました。

 返事を書いて使者に渡しました。これは今回の祝儀だとて、小袖一かさねを渡しました。源太は受け取って押し戴き、肩に掛けて外に出ました。また、良い馬に鞍を置いて、「足が速い馬だから、乗って道を急ぎなさい」とて出してきます。源太は賜り、人に馬を引かせつつ門外に出て、そこで馬に乗って、鞭を当てて急ぎます。これがまぁ昔の人が天駆けると詠ったことか、その言葉どおりのことが我が身の上に起こっている、と思い急ぐうちに、その日の日暮れ頃に帰り着き、お返事とてお渡ししますと、宰相どのはご覧になり、もう来たのかと喜びました。

 さて、源太は小袖と馬をお目にかけ、「これで急ぎました。並ならぬお住まいでございます。明日にはご見参と仰せでした」と申しますと、若君は嬉しく思われ、姫君にこのことを話し、返事を渡しますと、

「どうやらまだ何事もないご様子で、会えるのが嬉しいこと!」とて、喜びの涙はせき止めることが出来ず、手紙の中をご覧になって、明日を待ちわびるのでした。

 さてまた、姫君のお里では、使者を帰して、盛高どのが左衛門を呼んで、

「明日は早朝に出立しよう。その用意をさせよ。

 今回は宝物をどうして惜しむだろうか。倉を三つ開け、長持に入れる引き出物には、金銀、金襴・緞子・綾錦、色よき唐綾・唐織物、刺繍などの装束・巻いた反物・平たくたたんだ反物にいたるまで、数多くの宝物を入れるべし。長持の一つには、鎧・腹巻、太刀・刀など、黄金こがね作りのものを取り添えよ。別の一つには白布など数々を入れるべし。引いていく馬は十三頭、鞍を金の覆輪で縁取るべし。

 供の者は見苦しくてはならない。騎馬は十騎、雑兵は二十人を超えてはならない。わざと密かに行くぞ。神に詣でると告知しろ。見栄えをよくして供させよ。更に更に、宝は数を尽くして持たせよ」と仰います。

 さてさて、このことを乳母に知らせようと思うのですが、女は思慮がないから迂闊に喜ぶ様子を見せるだろう、そうして、このことを北の方に悟られるのは悔しいと思われ、そ知らぬ様子で御簾の中に入って、いつもより楽しそうに明石を呼んで申した様子には、

「明日は思い立った祈願のことがあり、神に参るぞ。その間、他所に出かけるなよ」とて、笑って立ち去りました。

 北の方はこれを見て、「いつもよりご機嫌がよさげなのが嬉しいことよ。この祈願を終えて帰ってこられたら、こちらにも来てくださるでしょう」とて、喜んだのは空しいことでした。

 さて次の日になりますと、深夜にこっそり出発しようと思うのですが、そうはいっても一行の人数は多数です。忍んで出るのだから邪魔だとの仰せなのに、道中無用心だからと手矛や長刀を持って、大人数がひしめき合いました。長持を数多く担ぎ連れ、遥かな道をぞろぞろ続いて通っていったので、人々がこれを見て、「不思議だな、盛高どのはこの頃は引きこもっておられたが、何処の神へ詣でられるやら。大勢引き連れて、ざわざわと出て行かれるぞ」と言うのも当然だと思われます。

 馬の足並みを早めて、はやる心の道中は、嬉しいままにあっという間に過ぎ、恋しい人の住むところも近くなりました。

 さて、案内の者を先に行かせ、「こちらに入れてください」と言いますと、源太が心得て走って迎え出て、見れば、流石におびただしい人数で列が続いています。大勢を門外に控えさせ、盛高どのに近しい侍ばかりをお供にして、「すぐにお出でになります」とて中に通しますと、姫君は待ちかねていたことですので、玄関近くに出てこられ、父君の手を引いて、「こちらへ入ってください」とて引き入れまして、ものも言わず、まずは側に打ち伏して泣かれるばかりでした。盛高どのがこれをご覧になって仰るには、

「なんと、花世の姫か。嬉しいぞ、お前を失ってからは、ますます命は惜しくないものになったが、仏のお告げが頼もしくて、今まで生きながらえた。その甲斐があってお前に逢えて嬉しいぞ」

とて、はらはらと涙を落としますと、姫君は目を上げ、父君の顔をご覧になって、

「やつれていらっしゃるのが痛ましいですわ。私のために思い悩まれたこと、その私の罪が恐ろしい。

 思いがけない時に、父君の使者だと言って、急ぎ家を出ろ、と私を追い出し、足を留めず背負って、何処とも知れぬ山中に捨てられたのを、観音の助けでしょうか、獣や妖怪の餌食にもならずに、不思議に命長らえて、変わらぬ父君のお姿をも拝見できました。この有り難さよ」と、長々と言ってさめざめと泣かれ、ありがたそうな有様は、傍から見ても痛ましく、乳母をはじめ、側に仕える侍女たちで袖を濡らさぬ者はないのでした。

 とはいえ、今は喜びの涙ですから、「まずはお喜びください」と乳母が勧めましたところ、まことにまことに喜びは尽きませんでした。

 その後、姫君が「ところで、明石は」と言いますと、「あれも小侍従も胡蝶の前も、いずれも変わったところはなく、お前の音信を待っている。どうも思うところがあって、今回のことは知らせておらぬのだ。明日は呼んで会わせよう」と仰います。姫君は嬉しく思われて、今か今かと明日を待つのでした。

 一方、中納言どのにこのことが伝わりますと、「思いがけない客人だな。屋敷にいながら使者に喋らせるのも愚かなことだ」とて、息子たちを引き連れてお出でになり、このことをこうこうと説明されますと、盛高どのは出てお会いになり、初めて謁見しました。まず中納言どのが、「これは思いもよらない訪問です。前もって私に申し伝えられなかったことが悔やまれます」と仰いますと、盛高どのは

「だからこそ、我らが図太く参りましたことを面目なく思います。

 かけがえのない姫を一人持っておりまして、過ぎた秋の頃、虚空に失っておりましたのを、どんな不思議によるものでしょうか、こちらの奥方に召し置かれているとのこと、伝えてこられましたので、公にお知らせせずに参りましたこと、子供のために迷う親の習いでしょうか。人目も恥もかえりみないことでした。

 それにしましても、成人した若君を数多持っておられる、お羨ましいことです」とて、涙を止めることが出来ません。中納言どのは、

「ああ、道理ですな。私は子供が数多い中でも、いずれも可愛くない子はおりません。

 何事も何事も、この上は、ただお喜びなさるといい。期待通りに首尾よくはいきませんでしたが、あれにおります宰相をば、今より後は息子とお思いなされ」とて、一緒に涙をこぼしました。その後、喜びの盃が運ばれて、中納言どのは息子たちを連れてお帰りになりました。宰相どのは留まって、様々にもてなし、語らって、盛高どのの喜びはたとえようもありません。

 さてまた、盛高どのは中納言どののもとへお出でになりました。左衛門に申し付けたことですが、様々なお祝いだとて、中納言どのへ金襴十巻き、良い馬に金の縁取りの鞍を置かせて、太刀を添えて、結婚の祝いだとて贈りました。北の方へは唐織物三襲に、砂金を包み添えました。妹の姫君には唐綾一襲に、優れた細工師が輝くほどに作り上げた、金銀の三つ生りの橘の枝を贈りました。その他、局からはしためまで全ての従者の女たちには反物を数多く贈り、老人から若党まで全ての従者の男たちにまでも、馬・鞍・道具・太刀・刀まで、残らず贈りました。ああ立派な舅が来たと、喜ばない者はありません。

 これは表向きのことで、盛高どのはまた姫君の屋敷に戻りまして、喜びは様々、素晴らしい婿どのとの対面と称して姫君に逢われることは、優曇華の花が咲くのを待つ心地がして、盛高どののお心の内はたとえようもない喜びで一杯です。そこで宰相どのにご祝儀をとて、六歳の白葦毛の馬に梨地蒔絵の鞍を置かせて馬番を三人付けて、黄金作りの太刀を添え、金襴・緞子を十巻きずつ、百両ずつ入った砂金の包みを三つ並べ、これは結婚のお祝いですとて、宰相どのに差し上げました。また、姫君には喜びの装いだとて、刺繍物に唐紅・唐綾・練貫の織物三襲に緋色の袴を添えて差し上げました。乳母やちよいを始めとして、姫君に側近く仕える侍女たちにはそれぞれに贈りました。乳母とちよいに関しては、日頃の情愛はいつの世になっても忘れないでしょう。これは今の祝儀です、重ねてお礼を申しますとて、喜びは限りがありません。

 その後、明石にこのことを申し渡しますと、聞いて、これは夢でしょうかと思いましたが、現実です。あまりの嬉しさに呆然としつつ、どうしましょうどうしましょうと思うばかりで、どうすべきか判断する術もないのでした。使者が申しますには、「今はもう、お幸せであられます」とて、細々と事情を語ります。それで明石は心を鎮めて、「まぁ有り難い。それなら本当ですね。これでこそ死なずにいた甲斐がありました」とて、まずは喜びの涙が止められません。小侍従も胡蝶の前も八人の侍女たち、下女に至るまでも、たいそう喜んだことでした。

「今は誰を恐れることがありましょう。出発して下さい」と使者が勧めますと、我も我もと出発して、北の方には

「以前に姿が消えうせていた姫君さまが、世に出てこられましたので、そこへ参ります」と申しますと、不思議に思って言葉もありません。例の乳母と寄り集まって、「とうに狼に食べられたと聞いていたものを。もしかすると人違いではないでしょうか」と言いました。

 さてさて、明石は人々と連れ立って、姫君の屋敷へ参りますと、互いの心の内が嬉しいにしても辛いにしても、先立つものは涙なのでした。昔の話は尽きることがなく、乳母は別れてからの心労、夢のこと、巫女の占ったことを頼りにしてこの初秋を待っていたこと、話しても話しても終わりません。姫君も、別れた朝の名残惜しかったこと、追い出されたときの物憂さ。武士が言った言葉、その妻の情けのこと、山での心細さ、山姥の岩屋が恐ろしかったこと、また、山姥が情けをかけて姥衣を着せてくれたこと、人里へ送ってくれたこと、秋野が見つけていたわってくれ、この家に住んで手水釜の火を焚いたこと、若君の乳母とちよいの性質が非常に親切であること、夜も昼も語っても尽きません。語っては泣き、また喜んでは泣き、互いに嬉しさに限りがないのでした。

 さて、盛高どのがあちらこちらでもてなされて、早くも十日ばかり滞在しておられた間に、このことは国内に知れ渡り、あからさまに噂されました。北の方の親しい人々はこれを伝え聞いて、あさましいことだ、これほどまでに人でなしの親子と関わっていると恥をかく。連絡も取るまいとて、殊更に訪ねる人もおりません。北の方は、例の乳母と二人連れ立って、身の置き所がないままに、足に任せて出て行きました。心細さは限りがないことです。

 その後、盛高どのは中納言どのに暇乞いをしまして、姫君に仰るには、

「今はもう、幸せに暮らしているように見えるから、心にかかることもない。まず、帰って観音様にお礼をして後、やがてこちらに参って中納言どのに相談するべきことがあるから、また来るつもりだ。その時を待ちなさい」とて、宰相どのにも暇乞いをして、細々と気を配って帰られたのは立派なことです。

 山里に帰ってご覧になりますと、北の方は消えうせて姿が見えませんでした。さてはもはや。身に咎あれば浮世も狭しというたとえがあるが……。どうしようもないことなので放っておきました。

 まずは観音に詣でて伏し拝み、「有り難いご誓願によって、花世の姫をお助けくださり、無事な姿を再び見ることができたこと、有り難や。この先も ますます守りたまえ」とて、熱心に願いを立てられまして、やがて高いところに屋敷を移し、御堂を建て、僧侶を二十人据え置き、朝夕のお勤めを怠らずにいますと、霊験あらたかな正観音がおられるとて、多くの人がやって来て信仰を流行らせました。また、山姥が着せた姥衣を尊んでねんごろに供養しまして、塚を築き卒塔婆を立てて、鬼神から生まれ変わって成仏得脱なるべしとて、観音菩薩に近い辺りに弔いましたのは、素晴らしいことです。

 その後、例の巫女にも充分な謝礼を払い、「有り難くも占ってくれたものだ。嬉しいことも辛いことも、何故なのかは知らずにいるはずだった」との、盛高どのからのお言葉がありました。また、姫君からは、「巫女が占ったからこそ、父上とも乳母とも変わらぬ姿で会えました。この嬉しさを、どうして喜ばないでいられるでしょうか」とて、小袖を一襲、砂金百包みを添えて贈られました。これは喜ばしいことでございます。末永く後援者になりましょうとて出されたのです。また、明石をはじめとして、数多くの侍女たちが小袖を一襲ずつ脱いで、「この巫女どのにこそ、頼みをかけて姫君を待ち暮らしました。どうして惜しむことがあるでしょう」とて、思い思いに渡しました。

 また、姫君を誘拐した武士を縛り捕らえて、七日七夜、磨り首にしました。その妻は、どんな死罪にすることも容易いことですが、命をすぐに失えば懺悔することもかなわない。それに、今 姫君が出世したことも、この妻の嘆願で命があったからだということで、とはいえ褒美は与えられないがと言い含めて帰しました。

 また、継母の北の方は何処にもおりません。仇を恩で報いるならば、生活費を与えるべきところですが、罪のある身であれば因果からは逃れ難いもので、行方知れずになったのはみじめなことでした。

 

 こうして、盛高どのは思うままに観世音を信仰なされて、また、中納言どののお屋敷へ急がれまして、宰相どのを申し受け、家の跡取りにして、所領も家も四方の倉に至るまで、宰相どのと姫君の二人に譲られまして、障害もなく、宰相どのを丹後守盛家たんごのかみ もりいえと名乗らせたのでございました。家を継がせまして、さてまた、山里に祖母君をも亡き前の北の方の面影だとて連れておいでになり、際立って立派だと噂されました。

 中納言どのもその北の方も、姫君を類なくいとおしまれたので、別れの名残を惜しまれることは限りがありません。とはいえ、盛高どのが「安心してください。春は花の下の歌会、秋はまた紅葉にかこつけましてでも、折々の会合があるでしょう。わずらわしいと思わずに度々会いに来て下さい」などと、心細やかに仰せ置きまして、別れの挨拶を申されて、輿車を出発させ、盛高どのが盛家どのを連れて馬に鞭を入れさせますと、中納言どのは息子たちを引き連れてお帰りになりました。一方、山里でじっと耐えて待っている人々は、いざ、お迎えに出ようとしていて、これほどにおめでたい例もありますまい。

 死んでおられた姫君が甦って夫婦になっておられること、喜んでも余りあるとて、身分の高い者低い者全ての民が皆 出てきて拝みますのも当然と言えます。盛高どののお喜びはたとえようもありません。様々なお祝いは限りがありません。身内・外部の人々までも、徳利・大筒(酒を入れる竹筒)を捧げてきて絶え間がありません。夜昼の境もなく酒盛りが続いたと言われます。盛家どのは礼儀正しく堂々とした様子、太刀を佩いた凛々しい姿、芸能までも、他の人に優れておりましたので、親戚の人々もこれに感心するのでした。

 その後、姫君が思われたことには、(このように思うがままに栄えたことは、ひとえに母上のご恩ではないでしょうか。母上が観世音を尊んだからこそ、守護も深かったのです。ますます有り難いことです)とて、法事を行われたのは当然のことでしょう。堂を建て仏を供養し、施しを行い、貧しい者には親のためだとて財を与え、ひたすら慈悲をしましたところ、ますます守護があって、家が栄えたことは限りがありません。

 また、秋野をも引き取って、良い家を作って夫婦ともに住まわせ、毎月 米と装束を取り添えて色々贈りますと、富貴栄華にて明け暮らしました。

 姫君も願いどおりにいよいよおめでたとなり、若君・姫君と続いて産まれ、お乳も乳母もそれぞれでした。

 花世の姫の乳母は明石の局と申し、盛家どのの乳母を四位の局と申して、二人は車の両輪のように仕えて、人々がたいそう敬いました。

 さてまた、盛高どのも一人住まいされるお年ではありませんので、中納言どのの姪御――二十歳ばかりのお年ですが、約束が破られたことがあって、三年は独身でした――この方を参らせましたところ、昔の北の方のようにお思いになり、心安らいで住まわれて、月にも花にも心を寄せ、朝夕は乱舞管弦を催し、贅沢に栄えたのでございます。

 

 人は心が正直で慈悲があり、神仏への信心があれば、この世でもあの世でも良く過ごせるでしょう。この草子をお読みの方は、情け深くあることです。また、あの秋野夫婦が富貴栄華に栄えたことも、心に慈悲があって、人に情け深く接したためです。よくよく慈悲の心を深くして、人を哀れみ情けをかけなさい。更に誓約の有り難い観世音を信じ申し、一心に頼み奉れば、最後には望みがかなえられ、現世は安穏となり、死後に極楽に至ることまで疑いようがありません。返す返すも慈悲を朝夕思うことです。

参考文献
『お伽草子』 島津久基編 岩波文庫
『日本の古典 別巻2 グラフィック版お伽草子』 鈴木 勤編 世界文化社
『コミグラフィック日本の古典11 御伽草子』 辻真先構成・原田千代子画 暁教育図書

※資料が見つからず、ここには長くうろ覚えのあらすじを掲載していたのだが、資料を送ってくださった方があり、折角なので原文を(自分に)出来る限り、意訳せず書き下してみた。そうしてみると、原文はダラダラと不必要なエピソードが続いて長たらしく、訳文として世に出回っているものが大幅にカットし意訳してあるのも無理からぬのだが、カットされた部分の中に、海外の再話文学・伝承との共通点を見い出せたりして、なかなか興味深かった。

 イタリアの「ローズマリーの娘」では、冒頭、子のない王妃が庭を歩いて茂ったローズマリーの株を見、ローズマリーにさえ子があるのに私にはないと愚痴を言う。すると、月満ちてローズマリーの苗を産む。あるいは、同じイタリアの「りんご娘」や「ミルテの木の娘」では、子のない女が神に祈っていると月満ちてリンゴやミルテの木の苗を産む。同じようにこの「花世の姫」では、子のない北の方が縁を歩きながら仏に祈っていると、庭の梅の木に雀の親子が遊ぶのを見、雀にさえ子があるのに私にはないと愚痴を言う。すると仏の霊験によって月満ちて花世の姫を産む。また、北の方は観音に梅を賜る夢を見て、傍らに眠る夫を起こし共に喜ぶが、「ミルテの木の精」にも同様のシーンがある。

 イタリアの話では生まれたのは植物で人間の娘ではないのだが、後にこの植物から娘が飛び出してきて"王子"と結婚する。「花世の姫」では生まれたのは人間の娘だが、妊娠の際に梅の花が膝に乗る夢を見たり、その後も何かと梅の花にたとえられるなど、本来はイタリアの話と同じ、花女房的な要素があったものと思われる。これらのイタリアの話の原型は中東辺りにあるらしいのだが、してみると、「花世の姫」もそちらから伝わった伝承が取り入れられているのだろう。


 ところで、日本の民話に現れる姥皮や、この「花世の姫」に現れる姥衣は、着ると老婆の姿に変身できる魔法の着物、くらいに私は思っていたのだが、今回この原文を読んでみて、チベットの伝承などと同じように、服ではない、ただの老婆の生皮だったんだなぁと確信した。山姥が「夏のあまりの暑さに脱いだんだよ」などと言っているし、後には供養もしているし…。昔も今も、挿絵家は「服」のイメージで描いているようだが。ちなみに、"衣"には「服」という意味があるが、また「人の地肌、動植物の皮、羽毛」という意味もある。

 なお、同じく日本中世の文学である「姥皮」に登場するものは「木の皮のようなもの」と語られていて面白い。「木のつづれのカーリ」のまとう「木の皮をつづったような醜い服」のイメージが当時の日本にも流入していたということだろうか。


 花世の姫が山姥にもらった、「少し食べればずっと物を食べずにすむ」花米のようなアイテムは、[箱の中の娘]系の話で見かける。箱の中に長時間隠れる姫のために乳母的存在が用意するものだ。「花世の姫」では(姫君は即日人里に着いて雇われるので)不要といっていいアイテムなのだが、[箱の中の娘]系の類話のモチーフまでもが混入した結果なのだろう。



鉢かづき姫『御伽草子』 日本

 少し昔のことだそうですが、河内の国、交野の辺りに、備中守実高びっちゅうのかみ さねたかという人がおわしました。数多くの財宝を持っておられます。満ち足りて何の不足もありません。詩歌管弦に心を寄せて、花のもとでは散ることを悲しみ、歌を詠み詩を作り、のどかな空を眺めて暮らしておられます。北の方は、古今和歌集、万葉集、伊勢物語など、数々の書物をご覧になって、月を見て夜を明かし、月の入りを悲しむ、という風に明け暮らしておられて、心にかかるようなことはありません。夫婦はおしどりのごとく結ばれ、仲が隔たることはないのでした。

 思うがままの暮らしでしたが、子供が一人もありませんでした。朝夕悲しんでおられましたが、どういうわけでしょうか、姫君を一人授かりまして、父母のお喜びは計り知れません。そんなわけで、姫君を大切に養い育てることには限りがないのでした。常日頃、観音を信じておられましたので、長谷寺の観音に詣っては、かの姫君の将来を繁栄さえたまえとお祈りになるのでした。

 こうして年月を経るうちに、姫君が十三になった年、母上は今までにない風邪をひいた気がすると仰られて、一日二日が過ぎたという頃、今にも死にそうになりましたので、姫君を近くに呼んで、緑の黒髪をなであげ、

「ああ不憫だわ。十七、八歳にもなっていない。どなたと縁付くのか、心安いで見届けることも、なにもかも成すことが出来ないで、あどけない様子のあなたを捨て置いていくことの無残さよ」と、涙を流されます。姫君も一緒に涙を流されました。

 母上は流れる涙を押し留め、側にあった手箱を取り出し、中には何を入れられたのでしょうか、たいそう重たげなのを姫君の頭に載せ、その上に肩が隠れるほどの鉢を被らせて、このように詠まれました。

さしも草 深くぞ頼む観世音 誓のままにいただかせぬる

(私が深く信仰する観世音との誓いのままに、この鉢を被せます)

※この渋川版では略されているが、別の本では、姫君は観音の申し子であり、母の夢に観音が現れて「母が死ぬときにはこの鉢を被せよ」と告げたことが語られている。なお、別の本によれば、姫君の名は長谷(初瀬)寺にちなんで"初瀬"というらしい。母の名は"照見"。

 このように口ずさまれて、ついに儚くなられたのでした。

 父上は大いに驚きまして、「幼い姫をどうして捨て置き、どことも知れないところへ逝ってしまうのだ」とお泣きになりましたけれども、甲斐はありません。かくて、そのままであるべきではありませんので、名残は尽きないと思われるのですけれども、空しき野辺に送り捨てて、華の姿も煙となりました。月のような姿が風となって散り果てることこそ痛ましいことでございます。

 そうして、父上は姫君を近寄らせて、戴いておられる鉢を取ろうとしましたけれども、吸い付いてまるで取れません。父上は大いに驚いて、「どうすればいいのだろう。母上と別れたことはともかく、情けなくもこのような奇妙な姿になってしまうとは」と、嘆かれることに限りはありませんでした。

 このようにして月日が経ちまして、後の供養も執り行われました。母上への思いは姫君の上にこそ留まりました。春の軒端の梅の枝や桜は散って青葉になり、名残惜しく思いますが、また来る春には再び花開きます。月は山の端に沈んで闇が訪れますが、次の夕べには昇ってきます。けれども、喪われた人の面影は、夢でさえもぼんやりとしていくばかりなのです。いつの日のいつかの夕暮れに別れ道を歩くまで、現実で会うことはありません。姫君の思いは晴らす術がなく、思い巡らせば、まるで牛車が行く当てもなくさまよう風だなぁと、他の人の目も同情的なのでした。

 そのうちに、父上の一族や親しい人々が寄り合いまして、いつまでも男が独りでいては暮らしにくかろうと、「泣き濡れた袖を枕に、嘆いてくどくど言っても、その甲斐はまさかあるまい。どんなひととでも語らいあって、辛く別れた思い出を慰めなされ」と勧められ、父上も(先立った妻はともかくも、残された辛い我が身の悲しさよ。思い悩むのも意味がない)とて、とにかくも決断されますと、一門の人々は喜んで、相応しい人を探しまして、父上は元のように迎え取って再婚されたのでした。移り変わる世の中で、心は散り咲く花のように変わります。秋の紅葉が散り過ぎるように前の北の方は忘れられ、その面影は姫君ばかりが忘れることなく、嘆いておられるのでした。

 こうして、例の継母はこの姫君をご覧になって、「このような奇妙な片輪者がこの世にいたのですねぇ」とて、憎むことに限りがありません。それから、継母のお腹に子が一人出来ますと、いよいよこの鉢かづきを見まい聞くまいとし、普段の立ち居振る舞いのことさえもデタラメばかり言って、常に父上に陰口を申します。鉢かづきはあまりにやるせないままに、母上のお墓へ参って、泣く泣く申すご様子。

「ただでさえ辛いことばかりの世の中で、お別れした母上を慕って涙の川を作っております。その川に沈むことも出来ず生きながらえて、生きていても仕方がない私なのに。思うに、とても奇妙なことです。おかしな姿になったことが恨めしいわ。継母上が憎まれるのも当然です。

 愛する母上に遺され、私の身がおかしくなった後、父上にどんなにお嘆きがあっただろうと、それだけを心苦しく思っていましたが、今の母上に姫君がお出来になれば、もはや、ご心痛もなくなるでしょう。

 継母上が私を憎むため、頼りの父上は冷淡です。今は生きる甲斐もない憂き身の命、早くお迎えに来てください。同じ極楽の蓮の上に成仏して、心安らぎたい」と、激しく泣き焦がれて悲しまれましたが、隔てられた生死の悲しさ、そうね、と答える人もありません。

 継母はこのことを聞いて、「鉢かづきが母の墓に参って、殿をも私たち母子をも呪っております、恐ろしい」と、真実は一つも言わず、嘘ばかりを父上に何度も言いますと、男の心がもろいことには、本当だと思い、鉢かづきを呼び出して

「非道な者の心だ。いやな化物姿になったのを、世にも忌まわしく思っていたのに、罪もない母、兄弟を呪うとは。片輪者を家に置いて何になろうか。どこへでも追い出してしまえ」

と仰いますと、継母はこれを聞いて、脇を向いて、さも嬉しげな様子で笑いました。

 そうして可哀想に、鉢かづきを引き寄せて、着ているものを剥ぎ取って、みっともないひとえの着物を一枚着せて、ある野中の四辻に捨てられたのこそは、哀れなことでございます。

 さて、これはどういう世の中なのでしょうと、闇に迷う心地がして、どこへ行くべきかも知りません。泣くよりほかのことは出来ません。しばらくして このように、

野の末の 道踏み分けていづくとも さして行きなん身とは思わず

(野の果ての道を踏み分けて何処へでも目指していける身だとは思いません。)

と口ずさみ、足に任せて迷い歩かれますと、大きな河の端に着きました。ここに立ち止まって、どこかを目指して行くあてもなく迷い歩くよりも、この河の水屑みくずとなり、母上のおわしますところへ参りましょうと思われて、河面の端を覗きますと、流石に幼い心は弱いもので、岸を打つ波も恐ろしく、瀬の白波は激しくて、水の様子が凄まじいので、どうしましょうと思いますが、母のもとへ行けることを心のよりどころにして、もはや思い切り、河へ身を投げようとされたとき、このように一首詠まれました。

河岸の 柳の糸の一筋に 思ひきる身を神も助けよ

(河岸の柳の枝のように一筋(一途に)決意する私を、神よお救いください。)

 このように口ずさんで身を投げて沈みましたが、浮かぶ鉢に引かれてお顔ばかりが水面に出て流れるうちに、漁をする舟が通りましたが、「ここに鉢が流れている、何だろう」と言って引き揚げて見ますと、頭は鉢で体は人です。舟の人はこれを見て、「おや面白い、どういったモノだろう」とて、河の岸へ投げ上げます。ややあって鉢かづきは起き上がり、つくづくと思案して、このように、

河波の 底にこの身のとまれかし などふたたびは浮き上がりけん

(河波の底にこの身は沈むはずだった。何故再び浮き上がったのでしょうか。)

などと口ずさまれ、落ちつかなげな様子で、答えにたどり着けずに立ち上がりました。このままでいるわけにもいかないので、足に任せて行くうちに、ある人里に出ました。里人は鉢かづきを見て、「これはどういうモノかしらん。頭は鉢、下は人だ。どれほどの山の奥からか、年経た鉢が変化して、鉢を被って化けてきたぞ。どうでも人間ではあるまい」とて、指をさして恐ろしがったり笑ったりします。ある人は、「たとえ化物であっても、手足の先の美しいことよ」と申し、人々は思い思いのことを申すのでした。

 

 ところで、その地の国司でおわします人、名を山蔭やまかげ三位中将さんみちゅうじょうと申しますが、ちょうど縁行道(念仏を唱え、あるいは暝想などしながら仏堂や屋敷の縁側、長廊下などを歩くこと)をして四方の梢を眺めつつ、

「霞む遠里の、貧乏人の蚊遣火、それに使うよもぎ、奥底にくゆる薄煙は上の空に立ちなびき。趣きある夕暮れは、恋する人に見せたいな」

と、口ずさまれて立っておられるところに、例の鉢かづきが歩み寄ります。中将どのはご覧になって、「あれを呼び寄せよ」と仰せになりますと、若侍たち二、三人が走り出て、鉢かづきを連れてまいります。「何処の浦の、どのような者か」と仰いますと、「私は交野の辺りの者でございます。母に早くに死に遅れ、思い悩むあまりにこのような奇妙な姿にさえなりますれば、哀れんでくれる者もないままに、どこ(何は〜難波)の浦にいる理由もないと、足に任せてさ迷い歩いております」と申しますので、さてさて不憫な、と思し召し、戴いている鉢を取り除けてやれ、とて、皆々寄って取ろうとしましたけれども、しっかりと吸い付いてなかなか取れる様子もありません。これを人々は見て、「どうにもならないクセモノだぞ」と笑います。

 中将どのはご覧になって、「"鉢被り"は何処へ行く?」と仰いますと、「何処へだろうと行くべき場所はありません。母に死に別れて、挙句にこのような奇妙な姿にさえなりますれば、見る人ごとに怖じ恐れ、嫌う人はありますけれども、哀れむ人はありません」と申しますと、中将どのはお考えになって、「人の側に不思議な者がいるのも よいものじゃ」と仰いましたので、仰せに従って、鉢かづきはここに置いてもらえることになりました。

 さて、「特技は何だ」と仰いますと、

「特に申すべきものもありません。母に育てられていた頃に、琴、琵琶、和琴わごん、笙、篳篥ひちりき、古今和歌集、万葉集、伊勢物語、法華経八巻、数々のお経などを読みました他に、能はありません」

「それでは、能がないなら、湯殿(風呂場)に置け」ということになりました。今までしたことのないことですが、状況に従うのが世の中です。

 鉢かづきは風呂の火を焚きました。夜が明けると人は鉢かづきを見て笑いなぶり、嫌う人は多いのですが、情けをかける人はありません。来る日も来る日も「お風呂です、湯を沸かしなさい鉢かづき!」とて、夜中の十二時・朝の二時も過ぎないのに、朝の四時で夜も明けないのに、責め起こされて痛ましいことです。弱い篠竹が雪に埋もれて倒れ伏している風情で、もの儚げに起き上がります。夕暮れには立ち昇る柴の煙を見、鉢かづきの名も広まり立つのを苦しく思いながら、「お風呂が沸きました。早く湯を運んでください」と催促します。日が暮れれば、「おみ足を洗うお湯を沸かしなさい、鉢かづき」と命じられます。憂鬱ながらも起き上がり、乱れた柴を引き寄せながら、このように詠まれます。

苦しきは 折りたく柴の夕煙 憂き身とともに立ちや消えまし

(苦しいのは、折った柴を燃やすこと。辛い我が身と共に煙になって立ち消えればいいのに。)

 このように口ずさまれて、(どんな因果の報いでしょうか、このような辛い世に住んで。いつまで命長らえて、このように物思いして、昔を思って胸は焦がれる駿河の富士、袖は泣き濡れて清見が関のよう。いつまで命長らえて、憂き泥土が絶えない涙河を、流れて先の希望もないのか。菊の葉の裏についた露のごとく、どうにでもなるこの身だわ)と、独りぐちぐち言って、

松風の 空吹き払ふ世に出でて さやけき月をいつかながめん

(いつか元の上流社会に出て、さやかな月を眺めよう。)

このように詠じて、足を洗う湯を沸かすのでした。

 

 さて、この中将どのは、お子を四人持っておられました。上の三人は皆々妻を得ておられます。四番目のお子、宰相の君と申す御曹子は、見目容みめかたちが世にも優れ、優美なお姿は光源氏か在原業平かと言われるほどです。春は花のもとに日を暮らし、散ってしまうことを悲しみ、夏は涼しい泉の底、美しい藻に心奪われ、秋は紅葉こうよう、落ち葉の散り敷く庭の紅葉もみじを眺め、月の前で夜を明かし、冬は蘆間あしまの薄氷、池の端で羽を閉じてオシドリが浮き寝するのも物寂しい。袖を重ねて共寝する妻がありませんので、独り荒んで立っておられます。

 兄たちも母君も、お風呂に入りましたけれども、例の宰相の君だけが残りまして、夜が更けて遅くなって、独りでお風呂に入りました。鉢かづきの「お湯を、お移しいたします」と申す声が、優しく聞こえます。「御行水」とて差し出される手足の美しさ、非常に優れて見えましたので、世にも不思議に思われて、

「やあ鉢かづき、他に人はいないのだから、何を遠慮する。背中を流しておくれよ」

と仰いますと、鉢かづきは今更ながらに昔を思い出して、人に入浴の世話をさせたことはあっても、人の入浴をどうして世話できるでしょうかと思いましたが、主命であれば、逆らう力もなく浴室に行きました。宰相の君はご覧になって、

 河内の国が狭いとはいえ、どんなにか多くの人を見てきたけれども、これほどまでに たおやかで可愛げがあって美しい人は未だに見たことがない。先年、花の都へ上った時、仁和寺の花見があって、身分の高い者・低い者が群れ集まって門前に市を立てていたけれども、その時にもこの鉢かづきほどの人はいなかった。どう考えてもこの人を放ってはおけない、と思われます。

「どうだい鉢かづき、染めたくれないは色褪めて変わることがあっても、私が思い染めた君と私の仲が変わることはないよ」

と、宰相の君は千秋の松に永遠の愛の誓いをかけて、松の浦の亀のように永久に結ばれようと仰います。

 それ以降、鉢かづきは、軒端の梅の鶯の、まだ若いもののような感じになって、とにかく返事も出来ません。重ねて宰相の君は、

「これはあの竜田川の紅葉ではないが、紅葉色のくちなし口無したとえつつ、ものを言わね岩根の松だろう。弾き捨てられた琴にも、他所に弾き手があるだろう。(あなたは何も言わないけれど、相手によっては口をきくんでしょう?)もし恋文を何度も取り交わす方があるならば、恋仲になれずに空しく消えようとも、君であればむしろ、怨めしいと全く思うまい。どうか、どうか」と仰いますと、野に放し飼いのじゃじゃ馬は、心は強気なのですが、恋愛ごとの川の中に立って、何が良いのか悪いのかも分かりませんので、何を言うことも出来ません。宰相の君が他に恋人がいるのでしょうと仰ることが決まり悪くて、

「琴の糸はみんな切れて、他に弾く人もありません。悲しいのは、死に別れた母のこと。そのうえこの身が消えないで、いつまでも命長らえて、いやな浮世に住み続けて、そのままでいるしかない恨めしさを嘆いております」と申しますと、宰相の君はお考えになって、本当にその通りだと思われて、重ねて仰る様子では、

「だからだよ。有為転変の世の中に生まれたのは痛々しいことだ。苦しみは報いだと知らないで、神や仏を恨みながら明け暮らしているのだ。君も前世で野辺の若木の枝を折り、想い合う仲を裂いて、人を嘆かせた。その報いのために、親にも早く死に別れ、未だ幼い心で物思いの涙が寝床に満ちる感じなのだ。

 私は二十歳になる今までの境遇の中で、定める妻は未だにない。独りうたた寝の枕も寂しく住むことも、前世であなたと深く愛を誓ったからだ。その業が尽きないからこそ、巡りめぐって、ともかくも、今、ここにいるのだろう。世にも美しい人だが、縁がなければ目もいかない。君に縁があればこそ、こうまで深く想うのだろう!

 君を想い始めた昔から、今逢うまでの愛の言葉は、永遠に変わらぬものだろうよ。

 鯨の寄る島、虎伏す野辺、千尋の海底、五道輪廻の彼方、六道四生の此方。恋愛の川の川上の、涅槃の岸が枯れるとも、君と私の仲は変わることがない」

と、深く愛を誓われました。

 さて、鉢かづきは漕ぐ舟が動かず逃げられない感じになって、宰相の君の仰せの強引さのまま、思わず知らずのうちに身を任せて受け入れてしまい、その夜は、ここにある節竹の節ようにはっきりとした前世今世の約束もないのに、最後には私の思いはどうなるのかしら。見えない未来が来たら、何処へでも足に任せて出て行きましょうと、暗澹として思います。可哀想なので宰相の君は、

「どうした鉢かづき、それほどに何を嘆くんだい。君を見初めたからには、露塵ほどもおろそかには思うまい。夜になればすぐに逢いに来よう」と、昼にも機会ごとに通い、「これを見て心を慰めておくれ」とて、黄楊つげの枕と横笛を取り添えて置きました。

 鉢かづきは、その時大変にみじめに思って仕方がありません。私が世間並みな人間であればいいのに、そうではないのだもの。男の人の心は飛鳥川の淵のように一夜で変わるものだけれども、私は宰相の君を頼りに思ってしまうことでしょう。こんな、人を想っても仕方のない有様なのに、その心が透けて見えてしまうことの恥ずかしさよと、心を暗くして泣かれます。宰相の君はご覧になって、この鉢かづきの風情を物によくよくたとえれば、楊梅桃李の花の香り・雲間に差し出でる月・二月半ばの糸柳の風に乱れる様子・竹垣の内の撫子が、露を重たげに乗せて儚げに、恥ずかしそうに俯いているかのようだ。顔の愛らしさ美しさ、楊貴妃・李夫人も、どうしてこれに勝ることがあるだろうかと、えもいわれぬ気持ちになられます。同様に、この鉢を取り除けて、十五夜の月のように顔を見る手立てがあればなぁと思われるのでした。

 さて宰相の君は、湯殿の傍らの柴を積んだ寝床を立ち出でまして、自分の住居に帰りつつ、軒端の梅をご覧になっても、いつのまにか(鉢かづき、どんなに寂しく思っているだろう。)と、今日の日暮れを待つ時間は、住吉大社に根付いた姫小松、千年待つよりもなお長く思われます。鉢かづきは黄楊の枕と横笛を置くべき場所がありませんので、もてあまして居るのでした。

 こうして漸く、東の空も明るくなりますと、夜明けを告げる鶏、まだ東の空に横雲もたなびかないうちに、「お風呂の用意、鉢かづき」と責められて、「お湯は沸いております。運んでください」と答えつつ、いぶしっぽい柴を折りくべて、このように詠みました。

苦しきは 折りたく柴の夕煙 恋しきかたへなどなびくらん

(苦しいのは、折った柴を燃やすこと。恋しい人の方へ何故になびくのでしょう。)

と口ずさみますと、湯殿の主任が聞きつけて、「あの鉢かづきは頭こそ人ではないが、物を言う声色、笑う口元、手足の先の美しさはどうだ、こいつより前から住まわせている侍女たちの方がよっぽど劣っている。近付いてモノにしてやろう」とは思うのでしたが、鉢を被った頭を見ればもやもやとして、「口から下は見えるが、鼻より上は見えもしない。同僚にも笑われて結構恥ずかしいな」と、言い寄ろうとはしないのは当然のことでした。

 そうこうするうちに、春の日は長いとはいえ、その日も漸く"くれない"に"暮れ"て、たそがれ時に咲く夕顔のように人の心は華やぎます。宰相の君は、いつもより華やかに装って、湯殿の傍らの柴の戸口に佇まれます。鉢かづきはこれを知らないで、日が暮れたら来ると誓ったけれども、早くも宵は過ぎてしまったわ。不審者に吠える里の犬の声が聞こえるほどの時間になってしまったと、来るまでの形見の枕と笛を取り添え持ちまして、このように、

君来んと つげの枕や笛竹の などふし多き契なるらん

(あなたが来るでしょうと思いながら見るつげの枕や竹笛。何故ふし(障害)の多い仲なのでしょう。)

と口ずさみましたので、宰相の君はとりあえず、こう返歌しました。

いく千代と ふしそいて見ん呉竹くれたけの 契りは絶えじ黄楊つげの枕に

(何千年も伏しふし添うよ、節だらけの呉竹のように。誓いは絶える事がない。)

 こうして宰相の君は、比翼連理、生涯の愛を深く誓われたのでした。

 

 包み隠そうとしても紅が目立つように、二人の仲は漏れて人の知るところとなったのでしょう。「宰相どのを鉢かづきが自分のもとに通わせている、みっともないことだよ。もとより、貴い者も卑しい者も、男には好き心があるものだ。言い寄られたとしても、あの鉢かづきめがそれに近付こうだなんて、思うこと自体が不心得だよ」と、憎まぬ人はありません。

 ある時、他所から客人が来ました。夜遅くまで時間が空き、宰相の君が遅くに鉢かづきのもとに入りましたところ、鉢かづきは心細く思って、

人待ちて うわの空のみながむれば 露けき袖に月ぞ宿れる

(人を待って空の上ばかり眺めていますと、涙で濡れた袖に月が宿ります。)

と、このように口ずさみますと、宰相の君はいよいよ鉢かづきを優美に思われまして、愛は深まりましたが、捨てようなどとはいたしません。

 昔から今に至るまで、自分に関係のないことまでも人はとやかく言うもので、「宰相どのは世にも異常な様子で、このような振る舞いをなさるよ。気がおかしいんだな」と笑っているうちに、母君がこれを聞きつけて、「皆々、デタラメを申しているのだろう、乳母にその女を見させよ」と仰いますと、乳母の冷泉れいぜいは見てきて「本当でございます」と申します。父母は呆れて、しばし物も言いません。ややあって

「もし、乳母よ聞きなさい。とにかく宰相の君を諌めて、鉢かづきに近付かぬように計らいなさい」と仰いますと、冷泉は宰相の君の前へ参り、なんとなくお喋りをして、

「もし、若様。本当のことではないと思いますけれど、湯殿の湯沸しの鉢かづきのもとへ通っておられるとのこと、お母上がお聞きになって、まさかそのようなことはないでしょうけれども、もし本当ならば、お父上の耳に入る前に鉢かづきを追い出すべしとの仰せにてございます」と申しますと、宰相の君が仰ることには、

「予期していた仰せだな。一樹の影に休み一河の水を汲むことも前世の縁と聞く。いにしえの縁があればこそ、父上に勘当され千尋の海の底に沈もうとも、夫婦の仲は別れるものではない。親の不興を買って、たちまち無間地獄に沈もうとも、想い合う夫婦の仲ならば、どうして苦しいことがあろうか。父上のお耳に入り、たちまち お手にかけられるとしても、あの鉢かづきのためであるならば、捨てる命は露塵ほども惜しくはない。あの人を捨てることは思いもよらない。従わぬといって鉢かづきとともに追い出しなさるならば、どんな野の果て、山の奥に住むとしても、想う人と連れ添うならば、決して悲しいことはあるまい」とて、自分の住居をお出になられて、柴を積んだ扉に入られました。日頃は人目を忍んでおられるのですが、冷泉が参って注意してより後は、終日 鉢かづきのもとに居られます。そうするうちに兄たちも、お前は一族の座敷へ来てはならない、と宰相の君に言うのですが、嫌がる様子もありません。いよいよ人目をはばからず、朝夕通っておられます。

 母君は「それはともかく、鉢かづきはきっと化物で、若君を殺そうと思っているのでしょう。どういたしましょう、冷泉よ」と仰います。冷泉が、「あの若君はちょっとしたことでさえ顔色を変えてはにかんで、どうでもいいことまでも気後れするたちで通しておられましたけれども、このことに関しては恥じる様子もございません。ですから、若君たちの嫁比べをして御覧なさいませ。このようにすれば、あの鉢かづきは恥ずかしく思って、何処へでも出て行くに違いありません」と申しますと、その通りだと思し召し、

「いついつ、若君たちの嫁比べあるべし」

と口々に触れ回らせました。

 そうするうちに宰相の君は、鉢かづきのもとへ入られて、「あれを聞きたまえ。我々を追い払うために、嫁比べなどと言い出して触れ回っているが、どうしようか」と涙を流されますと、鉢かづきも共に涙を流す様子。「私のためにあなたを無用者にすることができるでしょうか。私は何処へでも出て行きます」と申しますと、宰相の君が仰るには、「あなたと片時も離れてはいられない。何処へなりとも共に出て行こう」。こう仰いますと、鉢かづきはどう判断する方法もなく、涙を流しておりました。

 さて、とにかく日が過ぎるうちに、嫁比べの日になりますと、宰相の君と鉢かづきの二人、何処へでも立ち去ろうと思っておられることこそ哀れでございます。そうこうするうちに夜も明け方になってしまえば、履くのも慣れない草鞋わらじを締め履かれて、とはいえやはり両親と長く暮らしておられたのですから、お名残惜しく思し召し、落ちる涙で視界が曇り、(今一度父母の姿を見てから何処とも知れぬところへ出て行きたいと思うが、出来ないことが悲しい)、とお思いになるのでしたけれども、ついに、一度は離れるものなのだと思い切られました。鉢かづきは宰相の君のこの様子を見て、「私一人、何処へでも出て行きましょう。縁が深ければ、また巡り会います」と言いますと、「恨めしいことを言われたものだな。どこまでもお供しよう」とて、

君思ふ 心のうちはわきかへる 岩間の水にたぐへてもみよ

(君を想う心の内は沸き返る。湧き返る岩間の水に比べてみても。)

と、このように詠まれ、立ち出でようとされるとき、鉢かづきは、

わが思ふ 心のうちもわきかへる 岩間の水を見るにつけても

(私があなたを想う心の内も沸き返ります。湧き返る岩間の水を見るにつけても。)

などと口ずさみ、また鉢かづきが、

よしさらば 野辺の草ともなりもせで 君を露とも共に消えなん

(やむを得ません。野辺の草になりはしませんが、あなたを草の露とも思い、露のように共に消えましょう。)

と詠みますと、また宰相の君はこのように、

道のべの はぎの末葉の露ほども 契りて知るぞ われもたまらん

(愛を誓ってあなたを知ったのだ、道端の萩の葉の先の露ほどに少しも、私も留まるまい。)

と詠まれて、もはや出ようとなさいますが、やはりお名残惜しく、悲しく思われて、容易には出ることが出来ず、ただお涙がとめられません。こうして、留まるべきでもなく、夜もだんだん明け方になりますと、急いで出ようとて、涙と共に二人一緒ながらも出ようとなさったときに、被っておられる鉢が"カッパ"と前に落ちました。

 宰相の君は驚かれて、姫君のお顔をつくづくとご覧になりますと、十五夜の月が雲間を出たに相違ありません。髪の垂れ具合、姿かたち、何にも譬えることが出来ません。宰相の君は嬉しく思われて、落ちた鉢を拾い上げてご覧になりますと、二つの内皿のその下に、黄金を丸めたもの、金の盃、白銀の小提下こひさげ(酒を注ぐ急須のような形の道具)、砂金で作った三つ生りの橘、銀で作ったけんぽ梨、十二単の小袖、紅に何度も染めた袴、数々の宝物が入れてあります。姫君はこれをご覧になって、私の母が長谷寺の観音を信じておられたご利益だわと思われて、嬉しいにしても悲しいにしても、先立つものは涙でした。

 さて、宰相の君はこの様子をご覧になって、「これほど大変な幸福があったことの嬉しさよ。今は何処へも行くべきではない」とて、嫁比べの座敷へ出ようと準備をいたしました。既に、早、夜も明けましたので、世の中はざわめいております。人々が言うことには、

「これほどのお座敷へ、あの鉢かづきが出ようと思い、何処へも逃げなかったとは不心得なことよ」と笑います。

 そうこうするうちに、急げ急げと触れ回りますと、長男の嫁御は簡素で品のよい装束で、お年のほどは二十二、三ばかりと見えて、頃は九月の半ばのことなので、肌着には白い小袖、上には色とりどりの小袖を召して、紅の袴を長く引き、髪の毛は背丈より長く、辺りも輝くばかりです。引き出物には唐綾十疋、小袖十かさねを衣装箱の蓋に入れて運ばせております。次男の嫁御は、お年は二十ばかりで、上品で気高く、人に優れて見えます。髪の毛は背丈と同じで、装束は肌着は生絹すずしあわせ、上には摺箔すりはくの小袖、紅梅の刺繍の袴を長く引いて、さて引き出物には、小袖三十かさねを運ばせております。三男の嫁御は、なるほど、お年は十八ばかりと見え、髪の毛は背丈に足りませんが、月に妬まれ花にそねまれるほどの風情です。装束は、肌着は紅梅の小袖、上には唐綾を着ておられます。引き出物には染物三十反を運ばせております。三人の嫁御前は、いずれも劣らぬお姿です。

 一方、遥かに下座の所に、破れた畳を敷かせ、鉢かづきを座らせようと席が作ってあります。人々が言い合うことには、「三人の嫁御前は見た。鉢かづきがみっともない姿で出てくるのを見て笑おう」とて、軒端の鳥ではありませんが、羽づくろいして待っておりました。

 さて三人の嫁御前たちも、今か今かと待っておられます。また、姑である母君は、「何処へも出て行かないで、今、恥をかくだろうことの悲しさよ。なんのために。嫁比べなど言わずとも、良いも悪いも知らない様子だから、若君もいつか捨て置いただろうものを」と仰います。

 そのうちに、鉢かづき遅しと、度々使者が立ちますと、宰相の君はお聞きになって、「ただ今そこへ参る」と仰れば、人々は見て笑おうと野次を飛ばしました。ところが、出てきた様子は、ものによくよく譬えれば、ほのかに出ようとする月に雲がかかる風情であって、御かんばせは気高く美しく、お姿は春の初めの枝垂れ桜が、露の間からほの見えて、朝日がうつろう風情に異なりません。霞の眉墨はほのほのと、たおやかな双髪は秋のセミの羽のよう。ゆったりとした表情は、春は花に妬まれ、秋は月に妬まれる風情です。年の頃は十五、六ほどに見えます。装束は、肌着は白い練り絹、上には唐綾、紅梅紫、色とりどりの小袖、紅に何度も染めた袴を長く引き、翡翠のかんざしをゆらゆらさせて歩いておられるお姿は、ひとえに天人の降臨もかくやと思い知らされるのでした。

 待ち受けて見ていた人々は、皆々目をみはり、気をそがれておられます。宰相の君の心の中の嬉しさは限りがありません。そのうちに、お座敷の一段下げて作ってある席に着座しようとされたときに、舅である中将どのが、「どうして天人を下座に置けるだろうか」とて招かせました。あまりのいとおしさに、母君の左の膝元へ呼び参らせたのです。

 さて、姫君の舅どのへの引き出物には、白銀の台に金の盃を据え、金で作った三つ生りの橘、金十両、唐綾、織物の小袖三十かさね、唐錦十反、巻絹五十疋を、衣装箱の蓋に積ませて運んで来させました。姑への引き出物には、染物百反、丸めた金、銀で作ったけんぽ梨の折り枝を、金の台に据えて運んで来させております。

 人々はこれらを見て、見目かたち、衣装、引き出物に至るまで、勝りはしても人に劣りはしないと、驚かされるばかりです。三人の兄嫁御前たちさえも、最初は美しく思われたけれども、この姫君と比べれば、仏の前に悪魔外道が居るのに異なりません。兄たちは「さあ、のぞいてみよう」とて覗いてご覧になりますと、辺りが輝くほどの美人です。皆々不思議にお思いになって何を言う言葉もありません。楊貴妃、李夫人も、彼女にはどうして勝てるだろうか、どうせ人間に生まれたなら、このような人とこそ一夜なりとも契り、思い出にしようと、人々は宰相の君を羨むのでした。中将どのは、最近宰相の君が死にそうに思えたのも道理だと思われるのでした。

 さて盃が運ばれますと、母君は考えられて、そのまま姫君に盃を注されました。その後、お酒が廻りますと、三人の兄嫁御前たちは話し合って、「見た目は下賎な身分とは無関係です。合奏を始めて、和琴を奏でさせましょう。和琴は特に、その基本を知らなければ、誤魔化さずに弾くことは出来ないものです。宰相どのがその基本をはっきり知ったならば、後には教えるとしても、今夜のうちには教えることが出来るはずがありません。さあ始めましょう」とて、長男の嫁御は琵琶の役、次男の嫁御は笙を吹かれます。母君(文脈的には三男の嫁御だろうが…)は鼓を打ち、姫君は「和琴を奏でてください」と強制されます。その時姫君が仰ることには、「このようなことは今、初耳のことで、少しも存じないことですわ」と辞退いたします。宰相の君はこれをご覧になって、我がことのように感じて、行って弾くものを、と思われます。その時姫君はお心の内で(私を賎しい者と思い、このようにして笑うためなのだわ。私も昔、母に養われていたときには、朝夕手馴れた楽の道なのだから、弾けるはず)と思われて、「ならば弾いてみましょう」とて、側の和琴を引き寄せ、三度奏でられました。宰相の君はご覧になって、嬉しいことに限りはありません。兄嫁たちはご覧になって、歌を詠み文字を書くことも、後には宰相どのの教えがあるでしょう、ただ、今のうちならば教えることも出来まい、ならば歌を詠ませて笑いましょうと相談されて、

「これを御覧なさい姫君、桜の枝に藤の花、春と夏とは隣です。秋はことさら菊の花。これについて姫君、一首詠んでくださいな」と仰いますと、姫君は考えられて、「あら、難しいことを仰るものですねぇ。私の能は、最近は湯殿に居て、朝夕手馴れた水車のごとく、水を汲み上げることの他にはありません。歌というのはどういうものなのやら、少しも存じませんわ。まずは、御前たちがお詠みになってください。その後には、とにかくも詠ってみましょう」と言いますと、兄嫁たちは、「姫君は、今日の主賓でございますから、まずは一首詠んでください」と責めてきます。その時、姫君は一首すぐに、

春は花 夏はたちばな秋は菊 いづれの露に置くものぞ憂き

(春は桜、夏は橘、秋は菊。いずれの花を愛すものでしょうか、どれも露のように儚いのに。辛いことです。)

※三種の花を三人の兄嫁になぞらえた皮肉でもあるのか?? なお、文脈上は「橘」ではなく「藤」であるべき。

と、このように詠まれました。筆の運びは、小野東風の振るう筆もかくあらんと、目を驚かすばかりです。人々はこれを見て、「本当にこの人は、いにしえ玉藻の前たまものまえ(鳥羽院に仕えた美女。九尾の狐の本性を現して殺された。)だろうか、恐ろしや」などと申します。

 そのうちにまた盃が運ばれますと、中将どのは考えられて、姫君に盃を注されて、「肴をさしあげよう」とて、「我が所領は七百町と言われているが、二千三百町ある。そのうち一千町をば姫君に差し上げる。また、一千町を宰相の君に取らせよう。残る三百町をば三人の息子に取らせる。百町ずつ分けて取れ。これを不足に思う者があれば、親とも子とも思ってはならぬ」と仰いましたので、兄たちはお聞きになって、割に合わないこととは思いましたが、貴命であれば力もなく、これからは宰相の君を総領と思おうと、三人同意されるのでした。

 

 こうして、姫君には冷泉をはじめとして侍女たち二十四人がつけられまして、宰相の君の住んでおられる、竹の御所へ移られました。こうして日々が過ぎていくうちに、ある時、宰相の君が、「あなたはただ人とは思われない。お名乗りなさい」と仰いますと、ありのままに語ろうとは思われるのですが、継母の悪名を立てるものではないと思い、あれこれ誤魔化して名乗りません。その後、姫君は亡き母上のご菩提をねんごろに弔われました。こうして日々が過ぎていくうちに、若君を沢山もうけられまして、お喜びは限りありません。これにつけても捨てられた故郷の父君を恋しく思い、若君たちをも見せてさしあげたいとお思いになります。

 そのうちに、故郷の継母は、欲深でケチである故に召し使う者もあちらこちらへ逃げ去り、しまいに貧しくなり、一人持っている姫君をも妻問いする人はありません。夫婦の仲も悪くなりましたので、貧しい住居にいて何になろうか、心残りもないとて、父君は行く先も知らず、出家して修行に出発されました。つくづく思案するに、「この世を去った北の方は、子のないことを悲しんで長谷寺に詣で、様々に祈り、姫を一人もうけたが、母が空しくなって後、あらぬ異形の姿になったことを不気味に思い、親ならぬ親、継母の恐ろしさよ、色々に讒訴ざんそするのを本当だと思い、追い出してしまったのは不憫であった。その身が人のようでなかったからこそ、どこの浦に住み、どのような辛い目を見ているだろう。不憫なことだなぁ」と思われます。やがて父君は長谷寺の観音にお参りになって、「鉢かづきの姫、未だにこの世にあるならば、今一度巡り会わせてくれたまえ」と、心を尽くして祈願されたのでした。

 その後、宰相の君は帝に気に入られて、帝より大和、河内、伊賀の三ヶ国を下されましたので、喜びの返礼のために、長谷寺の観音へ詣でられました。一族の若君たちが、花を飾り金銀をちりばめてさざめいておられます。さて、姫君の父君が観音の前で念誦しておられたのを、一行の男たちが見て、御堂の中が狭くなるとて、「そこなる修行者、あっちへ退がれ」とて、縁から外へ追い出します。父君は傍らに立ち寄られ、若君たちを拝見して、さめざめとお泣きになりました。人々はこれを見て、「ここにいる修行者は、どんなことを思って泣くのだ」と尋ねますと、己の家系出自をありのままに語り、「恐れながらこの若君、私が探している姫に似ておられます」と言いますと、姫君はお聞きになって「その修行者をここへ呼べ」と仰せられますので、縁の上まで呼び上げました。姫君はご覧になって、年齢よりもやつれておられるけれども、流石に親子のことですので、人目もはばからず、「私こそかつての鉢かづきですよ」とて姿を現されますと、父君はお聞きになって、「これは夢か現か、ひとえに観音のご利益だ」と仰いました。

 宰相の君はこれをお聞きになって、「さては姫君は河内の交野の人でおわしましたか。だからこそ ただ人とは思わなかったものを」と仰って、若君の一人と姫君の父君とを河内の国の主にして、末永く幸せに住まわせました。さてまた宰相の君は、伊賀の国に屋敷を作らせ、子孫の末まで幸せにお暮らしになりました。

 

 これはただ、長谷寺の観音のご利益だと言われています。今に至るまで、観音を信じますれば新たにご利益ありと申し伝えてございます。この物語を聞く人は、常に観音のお名前を十ぺんずつ唱えられるのがいいでしょう。

南無大慈大悲観世音菩薩

頼みても なほかひありや観世音 二世安楽の誓ひ聞くにも

(南無大慈大悲の観世音菩薩。信仰すればなおご利益があるよ観世音。夫婦安楽の願いを叶えるにも。)



参考文献
『御伽草子〈上、下〉』 市古貞次校注 岩波文庫 1986.

※よく「鉢かつぎ」と間違えている人がいるが、「鉢かづき」だ。漢字で書くと「鉢被ぎ」。現代語で言えば「鉢かぶり」といったところ。

 「花世の姫」のついでにこちらも原文から自分で書き下してみたが、今まで訳文を読んでいたときとはまるで違う印象なのに驚いた。『お伽草子』の「姥皮」「花世の姫」「鉢かづき」は"似たような話"としてひとくくりにされがちなものなのだが、「花世の姫」と並べてみるとキャラクターの性格がまるで違う。当たり前のことだが、意訳要約された訳文を読んでいたときにはそれが見えなかった。鉢かづきが(うぶではあるが)これほどに気が強い姫で、若君が(鉢かづきへの愛は途方もなく深いが)気の弱いところのある青年だったとは。また、ポエムや駄洒落(掛詞)が連発されているのも気になった。読みにくいっちゅーねん!

 こうして世界のシンデレラ系の話と並べてみると、本当にそれらの流れを受けた同質の物語なのがよく分かる。母が死の床で娘に言い聞かせるシーン、娘が継母に苛められて母の墓で泣くシーン。ただ、この話の場合、姫の不幸は母親に鉢を被せられたせいなんじゃないかと思うのだが……。しかしあれだけの宝物が入っていて、よく首が折れなかったね鉢かづき。
 あと、自殺しようとすると鉢が水に浮いて死ねないシーン。……ギャグ?

 この物語は民話としても語り伝えられているが、分布はやや狭い模様。埼玉県川越市のものなど、『御伽草子』のものと細部まで同じものもあるが、他の類話はそれぞれ少しずつ異なるバリエーションになっている。

 徳島県の話では、継母に家を出され大きな家の風呂焚きになった"鉢かぶり"が、夜遅く三味線を弾いて歌っていたのを、その家の若様が壁の破れ目から見て惚れ込み、恋煩いで床に就く。医者の勧めで村中の若い娘にお茶をくませて運ばせるが、誰の茶も飲まない。そこで鉢かぶりに運ばせると飲んでしまう。娘たちは「あの鉢かぶりが大家の嫁だとは」と指さして笑う。鉢かぶりは勧められて風呂に入るが、みじめさと不安のあまり泣く。すると鉢が落ち、中に絹の立派な衣装が入っていて、それを着て立派な嫁になった、という。「姥皮」の要素が強い。

 兵庫県の話では、鉢つき娘が炭焼きの父の家を継母に追われ、小間使いとして雇われた長者の家の息子と恋仲になるが、長者がそれを許さない。「鉢植えの梅に鶯を止まらせたまま運んでくること」という嫁選びのテストが行われ、頭から取れた鉢から出た衣装をまとった鉢つき娘だけが成功し、嫁になる。後、長者の家に、落ちぶれて乞食となった父・継母・妹が知らずにやってくる。父は盲目になっていて娘に気づかない。鉢つき娘は父を屋敷に雇い入れて使用人として養う、という、【炭焼長者・再婚型】に近い形になっている。

 一方、熊本県のものでは、長者の三人の息子がそれぞれ嫁取りするが、兄二人は長者の娘をもらったのに、末息子は道で会った頭に皿をかぶった娘を妻にする。兄嫁たちはこの娘を"皿かぶり"と呼んで軽蔑する。母親が嫁比べのテストとて三人の嫁に刺繍をさせると、兄嫁二人は見事な刺繍をするが、皿かぶりは出来なくて泣いている。やっと仕上げて持っていくと、母親はこれを一等にする。怒った兄嫁たちは衣装比べをもちかけるが、皿かぶりは一枚も衣装をもたない。兄嫁たちが嫌がる皿かぶりを追い回して皿を取ると、中から金襴・緞子・綾錦が出た、という。(『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-) これは、ロシアの「蛙の王女」などにある嫁比べモチーフを思い起こさせる。

参考--> 「運命の結婚」「淑娘と陸青」「両手を失った莫里根治




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