朝日長者と夕日長者という長者の家があった。朝日長者の奥さんが亡くなり、後妻を迎えたが、 その後妻は、継子の男の子をじゃまにするようになった。
継母は病のふりをして、継子の肝を食べると治ると旦那さまに言った。困り果てて、息子に「母のために死んでく れるか」と言うと、息子は「喜んで死にましょう」と言う。それで可愛がっていた犬を連れて、二人で山に行った。父が刀を振り上げ、息子を殺そうとすると、犬がわんわんと吠えて父に飛びかかって邪魔をした。父が犬に「おまえが身代わりになるというのか」と問うと、犬は静かになって、うなずいたように見えた。父はその犬を殺して、肝をもって帰った。
継子の男の子はもはや家に帰れなくなり、その夜は木の上で一夜を過ごしたが、夜中にがさがさと熊笹を掻き分けて、何かがやってくる気配がある。それは、死んだ母だと名乗った。
「木の下に、なんでも欲しいものの出てくる扇と、魔法の馬を呼ぶ笛を置いておきます。朝になったら、小鳥が案内をしますから、それについていくのですよ」
朝になって、男の子が小鳥についていくと、果たして人里に出、大きな屋敷に辿りついた。ここは夕日長者の屋敷で、男の子はそこの風呂焚きになり、灰でいつも汚れて、灰坊と呼ばれた。
やがて秋祭の日がきて、屋敷のものは下働きに至るまでみんなうきうきと出かけて行ったが、灰坊は行かずに居残った。そしてみなが出かけてしまってから、例の扇をあおいで きれいな着物を出し、笛を吹いて魔法の馬を呼び寄せた。彼が馬に乗って立派な若様の姿で祭に行くと、人々はあれはどこの若様だ、と驚きざわめいた。
ところが、この日から長者の娘の元気がなくなって、そのうち寝こんでしまった。長者夫婦は占い師を呼んで祈祷させたが、占い師はこう言って帰ってしまった。
「これは私には治せません、恋の病です。その相手はこの屋敷の中にいますから、一人一人娘に会わせて盃を勧めさせ、娘が盃を受けた相手を婿にすることですね」
そこで、長者夫婦は使用人の男全員を一人一人娘の前に行かせて、盃を勧めさせたが、娘は誰の盃も受けない。最後に灰坊の番になった。
人々が驚いたことには、現れた灰坊は、いつもの灰にまみれたみすぼらしい姿ではなく、立ち居ふるまいもしっかりした、例の立派な若様だったのだ。彼が盃を差し出すと、娘は頬を染めて受け、また彼に返した。
こうして、灰坊太郎は晴れて長者の婿になり、幸せに暮らした。
参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-
昔、おーむらの国 おーむらの殿様が男の子を一人生んで、名をまみちがねとつけた。ところが彼が三歳の時に母が死んだので、父はまた妻を迎えた。まみちがねは継母に育てられた。
九歳になった時、父が三ヶ月間江戸に上がることになった。出かける時、父は妻に「他のことはしなくてもよいが、まみちがねの世話だけはちゃんとして奇麗にしてやれ」と言った。それ以来、継母はまみちがねに辛く当たるようになり、まみちがねは毎日 庭掃除に薪拾いにとこき使われて薄汚れた。
三ヶ月経って、いよいよ父の帰ってくる日になった。継母は「あなたは先に迎えに行きなさい、私は髪を結って行くから」とまみちがねを迎えに出し、自分は顔をかみそりで傷つけて布団を被って寝た。
父はまみちがねが汚いのに驚き、継母が世話をしてくれなかったと聞いた。そして二人で彼女を待ったが、とうとう出てこないので家に帰ると、布団を被って寝ている。どうした、と聞くと、彼女は顔を傷を見せて訴えた。
「あなたの子供が私にしたことをご覧ください。あなたが出かけてからは、毎日 この継母め、と言って、かみそりで私の顔を切りつけるので、この顔を見られるのが嫌でお迎えにも行けなかったのです」
これを聞くと父は激昂し、まみちがねの話も聞かず、彼を家から追い出した。それでも、家にいる三頭のうち最も立派な馬を与え、江戸から持ちかえった四着の美しい服を与えた。
まみちがねはりっぱな服を着て駿馬に乗って出発した。行くが行くと、とてつもなく長くて広い河に出た。
「まみちがねの馬の飛ばしを見よ!」
そう言って、まみちがねが馬に一鞭あてると、見事に一飛びで河を渡った。
それから行くが行くが行くと、てっぺんに白雲がかかるような、とてつもなく高い茨の山に行き当たった。
「なんの、まみちがねの馬の飛ばしを見よ!」
そう言って、まみちがねが馬に一鞭あてると馬は頷き、二鞭あてると見事に山を飛び越えた。
それから更に行くが行くが行くが行くと、バラバラの長髪の爺さんが粟の草取をしているところに出た。
「お爺さん、この村に勤め口はないでしょうか」
「西の頂の家の三十五人の使用人のうち一人が死んで、今日で七日目だから、勤め口はあるだろうが……あなたのような立派な身なりの人は雇わないでしょう」
「では、あなたの着ているうぢょー(袖なしの作業着)と私の服を取り替えてください」
「そんな立派な着物を私が着たら、バチがあたります。うぢょーはあなたにさしあげましょう」
「いえ、私がそうしたいんですから。お爺さん、交換してください。その代わり、櫃を一つ貸してください。私の荷物を入れておきたいので」
まみちがねは粗末なうぢょーを着て、櫃に立派な服と馬の鞍を入れてお爺さんに預かってもらい、馬は竹山に放した。そしてお爺さんに西の頂の長者の家に連れていってもらって、そこに雇われた。
まみちがねは長者の家で働き始めたが、芝刈りに行けばろくに刈らずに戻って「手が切れた」と言い、庭掃除をすれば手に豆ばかり作ってロクに掃除できない。次に調理場の仕事に就いた。長者が「好きにやってごらん」と言ってくれたので、調理場で働く七人に一日 台所仕事を休ませ、七つのかまどを作らせた。すると、一度に沢山の煮炊きができるようになって、手早く食事が作れるようになった。これまでは、朝食は昼、昼食は夕方、夕飯は夜中になる有り様だったので、長者は「良い
翌朝、早く弁当を作って渡すと、長者は「お前も一緒に供をしなさい」と言ってくれた。けれど、まみちがねは「今日は私の母が死んで三年目ですから、楽しい場所に行くのは申し訳ないです」と断わった。
長者達が出かけてしまうと、まみちがねは風呂に入り、お爺さんに預けた中から一番奇麗な着物を着、立派な足駄を履き、竹山の馬を呼んで鞍をかけ、それに乗って芝居の場所へ行った。そして観劇の人々の集まっている北側に立って、
「まみちがねの馬の躍りを見よ!」
と鞭を当てると、馬は飛んで南に降り立った。その場にいた人々は殿様も誰も彼も「天の神様が来た」と騒いで、立って拝み始めた。けれど、西の頂の長者の娘だけはこう言った。
「あれはウチの灰坊よ。左耳にほくろがあるもの」
長者はそれを聞いて、「神様に無礼なことを言うな、早く
まみちがねは先に帰って元の灰坊の姿になり、火吹き竹を枕にして寝ていた。そこに長者が帰って来て言った。
「灰坊、灰坊、戸を開けなさい。
お前も行けば良かった。今日は天の神様が芝居の場へ来たので、皆で礼拝したんだよ」
「そんな事でしたら、私も行けばよかったですね」
「なに、まだ明後日まで芝居があるよ。明後日も早く弁当をこしらえておくれ」
明後日になると、まみちがねは早く弁当を作って皆に渡した。長者はまた「お前も供をしなさい」と言ったが、まみちがねは「今日は私の祖父の命日なので…」と断わった。
人々が出かけた後、例によって風呂に入って身支度をしていると、そこに長者の娘がひょっこり帰ってきた。
「草履を忘れたから、取りに帰って来たのよ」
もちろん、嘘だ。娘に何もかもを知られたまみちがねは、仕方なく、娘を馬の後ろに乗せて一緒に芝居の場へ行った。そして人々の集まっている東側に立って
「まみちがねの馬の躍りを見よ!」
と鞭を当てると、馬は飛んで西に降り立った。人々はなお騒ぎ、「今日は神様が夫婦で来た」と大昂奮で拝んだ。
家に帰ると、まみちがねは灰坊の姿になって火吹き竹を枕にして横になり、娘は部屋に引きこもった。そこに長者が帰って来て言った。
「灰坊、今日こそお前も行けば良かった。今日は神様が妻まで連れてこられた」
「それは残念なことをしました」
それから長者が家に入ると、娘が部屋に篭もっていて、お腹が痛いと騒いでいる。慌てて医者を呼ぼうとすると、「医者は要らない、巫女を招いて」と言う。それで三人の巫女が招かれたが、この巫女達は「これは
「これは病気ではありません。使用人の男の誰かに恋をしています。使用人の男の全員に思い思いの仕度をさせて、娘さんの前に行かせなさい。娘さんが盃を差したのが、彼女の想う相手ですよ」
長者は十七人の男の使用人に仕度をさせて行かせてみたが、その誰にも娘は盃を差さなかった。
「もう誰もいないのか」長者は言った。
「汚い灰坊が一人、残っております」
「そう馬鹿にするな、灰坊もお前たちも同じ人間、同じ処から生まれてきたのだ。仕度をさせて出してみよ」
そう言って、長者は灰坊に自分の古着を貸してやった。
まみちがねは風呂に入ったが、長者の古着をタオル代わりにして体を拭いた挙げ句、豚小屋に投げ込んでしまった。それで良い衣装を貸してやると、これもタオル代わりにして馬小屋の後ろに投げ捨てた。次に立派な羽織を貸してやると、これもタオル代わりにして体を拭いて、トイレに投げ込んでしまった。
そうして、まみちがねはお爺さんに預けた櫃の中から衣装を取り出し、馬に乗ってやってきた。長者はそれを見て手を取って座敷に案内した。娘の病気はすぐ治って、盃を取ってまみちがねに差し出した。長者は
「私には、娘ほど人を見る目がなかったようだ。どうか娘と結婚してこの家の婿になっておくれ」と言った。すぐに大祝いが始まって、三日の間続いた。
四日目になると、まみちがねは長者に向かって言った。
「どうか三日間の暇をください。親に挨拶に行ってきますから」
「いや、三日はあげられない。今日一日の暇をあげよう」
それで一日だけ里帰りすることになった。すると妻が言った。
「あなたは山道を行きますか、海辺の道を行きますか?」
「海辺の道は三日もかかる。一日で行ける山道を通ろう」
「山道を行くと、馬の前鞍に桑の実が落ちるでしょう。でも、どんなに水が欲しくなっても、決してその実を食べてはなりません。もしそれを食べると、私達はもう二度と逢えなくなってしまいます」
決して食べないと妻と固く約束し、まみちがねは山道を通っていった。すると、馬の前鞍に桑の実が落ちた。最初は妻にあれだけ言われたのだからと我慢していたが、だんだん喉が渇いて耐え切れなくなり、一つ取って食べた。たちまち まみちがねは死んで、馬の首にもたれた。馬は死んだまみちがねを乗せたまま、坂を下る時は後脚を折り、坂を登るには前足を折って、まみちがねを落とさないように注意しながら彼の実家の門に行って「ひん ひん ひん」と三度鳴いた。まみちがねの父がそれを聞きつけ、「あれはまみちがねの馬だが、「父よ」と呼ぶ声もなくただ馬に鳴かせるとはおかしい。様子を見て来てくれ」と妻に言った。妻が門を開けると、馬はいきなり妻を食い殺してしまった。
父が出て来て、「生きて帰ってこずに死んで帰って来てどうする」と嘆き、まみちがねの死体を運び入れて酒樽に入れて蓋をした。
さてその頃 長者の家では、一日だけの約束で帰ったのに三日も帰ってこない婿のことをみなが心配していた。実家の住所が判っていれば手紙も出せるが、誰も知らないのでどうにもできない。妻は、きっと桑の実を食べて死んだのに違いないと思って、死んだ者を生き返らせるという
「もしもし、まみちがねの家はここですか?」
するとまみちがねの父が出て来て「そうです」と答えた。
「彼の体を見せてください」
「見知らぬ人に我が子の体を見せるわけにはいきません」
「私は決して知らぬ人ではありません。彼は私の婿になって四日目に出かけ、私は彼を探してここまで来たのです。是非見せてください」
「それは……。私が悪かった、早く見てください」
父は酒樽からまみちがねの死体を出して見せた。まるで眠っているだけのようだった。妻はその死体に水を浴びせ、巣出水で拭いた。するとまみちがねは目を開き、居眠りから目を覚ましたように伸びをして起き上がった。
「朝寝したのか夕寝したのか。眠ってしまっていたようだ」
「あなたは朝寝したのでも夕寝したのでもない。食べてはならない桑の実を食べて、私が巣出水で蘇らせたのよ。――さあ、一緒に家へ帰りましょう」
すると、まみちがねの父が引き止めた。
「これは私の一人息子だ。よその婿にやるわけにはいかない」
「それなら、一緒に家へ行きましょう」
と妻が言ったが、まみちがねが言った。
「私は同時に二人の父を養うことはできません。金を送りますから、お父さんは良い養子でももらってください。私は、命を救ってくれた妻の家で働きます」
こうして、二人は父と別れて家に帰った。そして、今が今でも良い暮らしをしている。
参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-
※「もの言う馬」や「アラタフとモンゴンフ」を思わせる。大河や高山を馬で駆け抜けていくダイナミックなイメージは、南の小島では有り得ない。この話が大陸の高原地帯から、恐らくは朝鮮半島を経由して伝わってきた、騎馬民族系の伝承であることを如実に表しているように思う。
この話では皮を被る要素は希薄で、せいぜい服をみすぼらしいものに変えるくらいだ。しかし、この点は同じ沖永良部島に伝わる「灰坊」の異伝、下記の「猫の面」と併せて読めば補完されるだろう。
後半には生命(死)の果実と生命の水のモチーフが出ている。中国には扶桑という桑の大木――宇宙樹の伝説がある。沖縄では生命の水を巣出水というが、これは脱皮をする蛇を永遠に若返る不死者と見て、その巣から湧き出る水を不死の水、と捉えたものらしい。……それはそうと、その不死の水を「買って」いくってのはスゴい……。まみちがねの死体が「酒」の「樽」に入れられるのも示唆的である。(酒は世界中で生命の水と同一視される。樽のような中が
余談だが、殺された主人の死体を馬が背負って運び、運ばれた先で主人が生き返らされる、というモチーフも、世界的に見られる。
大和(薩摩)の殿様が伊平屋島に漂着し、そこの十八歳の娘とねんごろになった。殿様は、妊娠した娘に「生まれたのが男なら大和に連れてこい」と言って、刀と槍を残して帰っていった。生まれたのは男だったので手紙を出したが届かず、男の子は子供たちに親なし子と馬鹿にされて育った。
九歳になると、男の子は馬に乗って刀と槍を持って親探しの旅に出た。沖縄本島の琉球五城を訪ねていく途中、八十歳の爺に行き会い、その助言に従って十一年生きた猫を殺し、その皮を剥いで衣を作った。元々着ていた美しい衣装と刀と槍は竹山の生竹の節に隠し、りっぱな馬は竹山に放した。
醜い姿となった男の子を草取りの爺婆が世話し、大城の王の召し使いに雇われた。草取りや掃除はよくできなかったが、料理人になると食事が早くできるようになったので重宝された。しかし醜い姿の彼は”猫の面”と呼ばれて、召し使い仲間には嫌われた。
三月三日、三人の王が集まって浜遊びをすることになり、猫の面は手早く弁当を作った。一緒に遊びに来るよう誘われたが「留守番をする」と断わった。しかし城の人々がでかけてしまうと、彼は竹山に行って馬を呼び出し、立派な衣装を着て浜に行った。人々は神の子が現れたと騒いだが、王の一人娘の姫だけは「あれはウチの召し使いです」と言った。男の子は一足先に城に帰り、また”猫の面”に戻っていた。そこに王が来て、「
翌日も同じような催しがあった。男の子は同じように仕度して出かけようとしたが、それを姫とその乳母に目撃されてしまい、仕方なく彼女達を一緒に馬に乗せて会場まで行った。
城に帰ると、姫はお腹が痛いと訴えて寝込んだ。呼ばれた
祝宴が開かれていた時、大和の殿様から姫を嫁に貰うという申し込みの手紙が来た。もう婿がいると断わると、七日後に来て勝負をし、勝てば姫を連れ帰るとの知らせが来る。はたして七日後、殿様が来て「早く婿を出せ」と言うが、そこに男の子が飛び出して、自分はあなたが伊平屋島に残した落子である、親子で勝負をするか、と言った。殿様は詫び、それからは首里王と兄弟株になって互いに助け合って暮らした。
※南島地域に伝わる民話は、全体に日本本土のものより、より海外のものに近い感じで面白い。
冒頭、王が現地妻に子を孕ませて、自らのアイテムを残して「男の子だったら自分の元へこさせよ」と言い残すのは、たとえばギリシア神話のテセウスの物語にも見られるモチーフだ。
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※この話は日本全国に少しずつ異なったバリエーションで分布している。韓国にも「灰坊」という題でほぼ同じ話があるそうだ。なお、日本には「灰坊」という題で主人公が女の子になっている民話もある。[千匹皮]に紹介している「花世の姫」とそっくりだが、女の子の出自についての説明が省略されていたり、姥皮や姥衣等の「皮」、素敵な着物を出す「魔法」がなく、ただ灰を落として借りた着物を着ただけのことになっていたりして、より矮小化された感じだ。
馬を呼んで出す辺りが、ユーラシア大陸中部の放牧民族系のシンデレラと同じで、どうもその辺から朝鮮経由で伝わったのではないかと思えるし、中東や西欧によく見られる、神馬に乗った英雄の伝承との関連をも思わせる。
上に挙げた話では父が息子の肝を取ろうとするが、類話では命令を受けたのは召使で、哀れんで少年を逃がし、猿の肝を持ちかえる。「白雪姫」にも全く同じモチーフがあるのが思い出されるだろう。そして、少年が望みのかなう不思議な扇を手に入れるのは、死んだ母の墓の上で眠っていた時で、このパターンだと、西欧の一般的なシンデレラにより近づく。
ところで、ここではシンデレラの類話として継子いじめの発端を採ったが、類話によっては、主人公自身の放蕩など、親の不興を買ったために勘当されたり、単に修行のために家を出る話も多い。その場合、少年が成年する際の通過儀礼との関連が想像される。