眠り姫が象徴するもの

 【眠り姫】を読み解いていくと、そこに大まかに三つの象徴的意味を透かし見ることができるように思う。それらは互いに無関連ではなく、別次元に相似形で存在し、重なり合って平行している。

 

 第一の意味は、豊穣の女神や太陽英雄の信仰からくる、死と再生の神話だ、という解釈である。

 ギリシア神話では死の神と眠りの神は兄弟とされていた。眠りが死の相似物であり、【眠り姫】の魔法の眠りが"死"を暗喩していることは、聞き手にとっても暗黙の了解であると思う。

 死んだ娘は、どうして甦ることが出来たのだろうか。ここに、"自然のサイクル"の暗喩を読み取るわけである。死者がより素晴らしく(若く・美しく・賢く、成熟した人間と)なって甦る物語は、沈む太陽が再び昇ったり、欠けた月が満月になったり、冬枯れの植物が春に芽吹く様を表しているのだ、というのである。

 この推論は、実はとうの昔にグリム兄弟自身が出している。ペローの『眠れる森の美女』やバジーレの『太陽と月とターリア』では眠り姫は子供を生み、その子供には「太陽」だの「月」だの「曙」といった天体や自然現象の名前がついている。このことや、[ニーベルンゲン伝説]のブリュンヒルデを覆う炎の垣が"曙光"を象徴しているらしいことから、グリムは更にその考察――【眠り姫】伝承は天体的な自然現象を象徴した神話のかけらである――を強めたという。

 

 この観念を下敷きに複雑化した第二の意味が、冥界下りの物語、という解釈だ。自ら冥界に下って再生する、あるいは冥界の宝(財宝、霊力、花嫁)を得るという物語である。

 [命の水]系の眠り姫たちは、[いばら姫]系よりもっと強く「死と再生をめぐる力の持ち主」としての姿を現している。自分自身が死から再生するだけではなく、夫たる王子さえも、彼女は再生させる。

 何故なら、彼女は冥界の女王神だからである。

 冥界にある彼女の庭には生命の果実や水があり、その庭を荒らした――彼女を抱いた王子は、一度死んだ(地下や塔に幽閉された、みすぼらしい姿に変わった)後に、より素晴らしい存在として再生する。『処女王』では、はっきりと「処女王は父王を若返らせた」とある。観念的には"再生された王=若き後継者"なので、処女王が命の水を与え若返らせたのは、舅の老王であると同時に、夫たる末の王子でもあるのだ。

 伝承世界において、"生命"を象徴する太陽神は、同時に子供をムシャムシャ貪り食う人食いでもある。彼は日が沈むと冥界の家に帰って恐ろしい冥界神になる。同じように、[命の水]系の眠り姫たちは、無尽蔵の富や至上の美を持つ反面、人食いの姪であり、侵入者を殺す女戦士であり、威圧的な女王であって、自らの庭を侵した王子を殺そうとする。王子が生きて現界に戻れたのは、テストをクリアし、彼女の夫として認められたからに他ならない。

 この視点から見れば、[ニーベルンゲン伝説]のブリュンヒルデを覆う炎の垣は"曙光"ではなく"地獄の炎"であり、その眠る山は冥界である。ジークフリートの持つ"隠れ兜(隠れマント)"は、不可視の霊魂と同じ存在になって自在に冥界へ行き来するための"渡り"のアイテムというわけだ。

 

 以上の「冥界下り」の観念は、現実の儀礼や習俗を生み出した。子供が大人になるための通過儀礼イニシエーション、今で言う成人式もその一つである。

 近世まで、世界中に、一定の年齢に達した子供が大人になるために何らかの秘匿的な儀式を受ける習俗が存在していた。多くの場合、そこには二つの意味が存在する。「性的に成熟するための手ほどき」と「子供として死に、大人として(神秘的な知識を受け継いで)再生する」というものだ。

 この習俗は恐らく前述のような神話伝承的観念を基にして生み出されたものだけれども、逆に、この現実の習俗から伝承にフィードバック・補完されたモチーフは多いと推測される。

 [いばら姫]系の眠り姫たちが眠りについたのは、彼女が十五〜十六歳の誕生日を迎えた日だった。これは当時の成女年齢である。つまり、彼女がこの日に"ぶんぶん唸って回る紡錘つむに刺され"て死の眠りにつき、後に再生して堅実な結婚をするのには、成人のための通過儀礼の意味が含まれているのだと考えられる。これが第三の解釈である。

 

 ここでは、この三つの解釈、特に「冥界下り」と「成人のための通過儀礼」を下敷きにして、【眠り姫】に関する雑多な推論を述べてみたいと思う。

死に針と眠りの棘

 『いばら姫』や『眠れる森の美女』の眠り姫は、糸紡ぎの紡錘つむで指を刺して眠りにつく。しかし、どうして紡錘なのだろう? そもそも、あれは指に刺さるようなものなのだろうか。

糸紡ぎの様子。浜本隆志『眠り姫の謎』(講談社現代新書)より

↑手作業での糸紡ぎ。脇に挟んで突き出されているのが糸巻き棒(竿)で、先に亜麻や羊毛などの繊維を縛り付けてある。これを引き出し、湿した指先で縒って糸にして、下にぶら下がっている紡錘(つむ)に巻き取っていく。紡錘の下には石の重りが付いていて、重みで調子よく回せる。糸巻き棒や紡錘の形は様々ある。

糸巻き機。浜本隆志『眠り姫の謎』(講談社現代新書)より

↑やがて糸紡ぎも機械化された。この他にも足踏み式などがある。
 左端に突き立っているのは糸巻き棒。この機械では、紡錘はその下に横に寝ている。

 長い間、私は木製の紡錘の先が鋭く尖っていて、そこが刺さったのだろうと思っていたのだが、どうもそうではない感じがする。グリムやペローより古い『ペルシフォレの物語』や『太陽と月とターリア』では、姫の指に刺さるのは紡錘ではなく、糸のささくれである。これが指先の爪の間に刺さる。経験者ならお分かりだと思うが、ここに物が刺さると、どんな小さな棘であってもムチャクチャに痛い! しかも取れにくい。だから、このモチーフの作者が「死の眠りの原因」をこれに設定した理由は、心情的によく分かる気がする。思うに、『いばら姫』や『眠れる森の美女』も、本当は糸紡ぎをしようと紡錘を持って繊維を縒り、その時に繊維が爪先に刺さった、というのが正確なのではないだろうか。

 

 それはさておき、ゼランディーヌやターリアはささくれが刺さった状態で眠りにつき、後に繊維が吸い出されて抜けると目を覚ます。グリムやペローでは一度指先を刺しただけで、抜けても眠ったままだが(紡錘のように大きなものが指先に刺さったまま放置されるとは考えにくい)、バジーレなどでは「刺さっている間だけ眠りについていて、抜けると目を覚ます」のであり、こちらの方が物語的に利にかなっていると、ヤーコップ・グリム自身が賞賛している。

 このような、小さくて目立たなくて、対象人物に刺さっている間は"死"を与え続ける呪宝マジックアイテムは、世界中の伝承で よく目にするものだ。【三つの愛のオレンジ】では、"妬む女"はオレンジ娘の頭に櫛や魔法のピンを差し込む。すると、オレンジ娘は鳥に変わって飛び去る。つまり、"死んだ"のだ。あるいは、人食いの家に迷い込んだ子供は、かばってくれたその家の主婦によって虫に変えられ、壁にピンで留められる。これも"死"を暗喩している。人食いが出かけていくと、主婦はピンを抜いて子供を元に戻してくれる。『金の履物』では、まさに指を針で刺された娘が倒れて死に、針に気付いた誰かに抜かれるまでそのままの状態になっている。こういう力を持つ針を「死に針」と呼ぶ。

 民話の中には、この死に針のように、人間の生死を自在に操る呪宝がしばしば現れる。「命の水、死の水」が最も有名で、他にも「生命の果実、死の果実」「生き鞭、死に鞭」「生の扇、死の扇」というものもある。死のアイテムを使用するとたちまち死んでしまうが、生のアイテムを使えば生き返るのだ。

 【白雪姫】系類話には死の眠りにつかせる呪宝のバリエーションは多いが、大体以上のカテゴリ内に納めてしまえる。

 死に針は体に挿入する尖ったもの……人を死に至らしめる刃物か毒針が原型イメージにあるのだろうし、死の果実はまさに"毒入りの食べ物"だ。(根底には、冥界はこの世と全てが逆になっているという思想――冥界の生命の果実は死の果実である、というイメージがあったのだろうが。主人公は死んで冥界に再生するために冥界の食べ物を口にしなければならない。)また、上に挙げた例には現われていないが、死に鞭は魔法の杖と根が同じで、生命樹の枝(鞭)で打てば呪力が移る、という思想である。

 ところが、それらの他にも、眠りの原因として「体を締め付ける衣服・装身具」を挙げることができる。指輪、耳輪、首飾り、飾り紐、帯、靴下、スリッパ、下着やシャツなどだ。【眠り姫】でも、[ニーベルンゲン伝説]では、甲冑がブリュンヒルデを締め付けている。この鎧を切り裂くことで彼女は目を覚ます。グリムの『腕利きの狩人』(KHM111)では、凄腕の狩人が巨人たちにそそのかされて姫の眠っている城に忍び込むが、「お姫様は、いつまで経っても横になったまま眠っています。お姫様は自分の着ている肌着の中へ すっかり縫い込まれているのでした。」とある。狩人は姫の服の一部を切り取って持ち去り、これが証拠になって後に姫と結婚する。

 死をもたらす装束、これらは一体なんなのだろうか……。ここでの死を大人になるための通過儀礼と見て、衣装換えをして"大人になった"ことを意味しているのだとか、あるいは死装束のイメージから来ているという説もあるのだが……。単純に、人が倒れたときには まず衣服を緩めて楽にさせる――締め付けすぎの衣服は人を苦しめるという、日常の知識から来ているのかもしれないし、「甦らせるために服を脱がせる=裸にする=性的交渉を持つ」という暗喩なのかもしれない。

 成人した際にボトムや下着や頭飾り、髪型の変更、化粧(眉描き、お歯黒)や刺青で身を飾る習俗は、実際に世界中にある。例えば、かつての日本の貴族武家階級では、元服といって、男女共に十二〜十六歳で髪形と衣装を改め、男子は冠(武家は烏帽子)を被せてもらい、女子は親戚の人に裳(巻きスカート)を巻いて結んでもらって(江戸時代になると衣装の変化から袖留めの式に変わった)眉を剃って描いたり、江戸時代にはお歯黒を付けたりした。また、男子は冠を被せる人が元服名(大人としての名前)を付けてくれて烏帽子親(名付け親)になった。元服名は烏帽子親の名前から一字取って付けるものだった。民間でも、長野県上伊那、諏訪両郡では、男子十五歳、女子十三歳になると、母方の叔母からふんどしないし腰巻(下着)が贈られ、この「叔母くれ褌」を締めて正月に氏神に参詣した男子は「大人の仲間に入れられた」という。地方によって男子にのみ褌を贈るところ、女子にのみ腰巻を贈るところがあった。

 元服という言葉には「首頭(元)に着る(服)」という意味がある。実際、男子は頭に冠や烏帽子を被ったわけだが、万葉時代の和歌を見ると、当時の女子は成人の証として羽毛や菖蒲の葉や根で頭を飾ったものらしい。これを「葉根蘰はねかずら」という。

 日本のこれらの習俗は中国や東南アジアから伝わったものらしく、台湾原住民のプユマ族では日本と同じように元服親が少年に衣装(この場合、腰巻)を着せてやり、子供は元服名(通称)としてこの元服親の名を授かる。中国少数民族のイ族やナシ族やプミ族にも、成人した男子がズボンを穿き、女子がスカートを穿く儀礼がある。このうちナシ族やプミ族では、日本と同じようにズボンやスカートを穿かせるのは母親もしくは親戚である。タイ族、プーラン族などにはお歯黒の、ヤオ族やミャオ族には眉抜きの習俗もあった。

 なお、南米のヤノマモ族には女子だけに成年式があり、初潮があると娘は一週間家の中に隔離され、これが終わると結婚の資格を得たという。この際、身につけていた衣装を全て捨て、母親などが新たに作ったものに着替えた。

 いずれにせよ、民話に登場する"死のシャツ"には、他の呪宝と同じように、逆の効果の"生のシャツ"も存在しているのは確かだが――グリムの「六羽の白鳥」(KHM49)で知られるように、魔法をかけられて(死んで)いる若者は、彼を愛する娘が作ったシャツ(下着)を着ることで呪いから解き放たれる――西欧で成人の証として(母方の親戚が)下着や装飾品を贈る慣習があったのかどうか寡聞にして知らないが、「成人すること」は「結婚の資格を得ること」でもあったから、娘が婚約者にシャツを贈る習俗は、以上のような成人儀礼に源を持つのかもしれない。

 この「身につけると死ぬ下着」はギリシア神話のヘラクレスやイアソンの死因となっていたりもして、その場合 締め付けは関係が無く、"嫉妬する前妻"が下着に毒を仕込んでいたことになっている。これは『ニーベルンゲンの歌』のクリームヒルトが、夫の弱点を示す印を服に刺繍してしまうエピソードと対応している。

 

 ところで、眠り姫や白雪姫に刺さる"針"には別の解釈があり、むしろそちらの方が一般的である。針は男性器を意味しており、「針に刺される=男性器を挿入される=性的支配を受ける」というものだ。そもそも、紡錘は その形と回転動作から男性器を象徴する、というのが一般的解釈なのだという。だから[いばら姫]たちは糸紡ぎ部屋で"男を知った"というのだが……それ自体には異論はないものの、幾つかの疑問点がある。第一に、紡錘を持っているのは老婆で、男性ではない。第二に、紡錘が男性器の象徴なら、どうして"腰"や"足"や"口"や、あるいは曖昧に"どこかに刺さった"とだけ言うのではなく、"指先"に刺さった、とはっきり言っているのだろうか。指先にトゲが刺さることと性的行為は関連付けしづらいと思う。

 [いばら姫]たちの指先に刺さるものが"針"そのものではなく、肉欲を象徴するというイバラのトゲでもなく、蛇に噛まれるなどの他の性交の象徴物でもなく、"紡錘、または糸のささくれ――糸仕事関連物"である点に注目すべきかもしれない。というのも、糸紡ぎや機織などは日常の女性の仕事であって、また、女神たちの仕事でもあったからだ。糸紡ぎは運命の女神たち自身の仕事でもある。どこからか現われて[いばら姫]に糸紡ぎをさせる老婆が、構造的には死を定めた運命の女神自身の化身であることは、読み手にとって暗黙の解釈ではないだろうか。運命の女神に死を予言された娘が糸紡ぎの道具で死ぬというのは、因果めいて、とてもドラマチックな展開だといえる。

 日本神話において、太陽女神アマテラスは機織中に弟神スサノオの乱暴を受けて、女性器に梭(機織の道具)を刺して傷つき、天の岩戸にこもってしまう――つまり、死ぬ。[いばら姫]たちと同じく、糸関連の女性の仕事をしている最中に(性的陵辱を受けて?)死に、後に甦るわけだ。性暴力の要素こそないものの、女神が糸関係の仕事中に暴力死して後に再生する神話は、例えばポリネシアにも存在する。女神ヒナが樹皮を槌で叩いて布を作っていたとき、その音に腹を立てた主神タガロアに、ヒナ自身の槌で撲殺された。彼女はその後に月の女神として再生したとされる。

 北米から太平洋諸島、台湾、東南アジア、インド、地中海地方など、帯状の広い地域で月の中に女神がいて糸紡ぎや機織をしている、という神話伝承があるが、運命の女神たちの紡ぐ糸が常に"死"のために断ち切られるように、月の中の織女たちの織る布も、猫やネズミ、太陽光によって破られ、決して完成することはない。生命は断ち切られるのが自然のサイクルだからだ。けれども、永遠の命をも表す月の女神たち自身は、死んでもまた再生する。このことと、[いばら姫]たちが糸紡ぎの仕事中に突然死ぬこと、それが予め"定められた死"であり、後に"目を覚ます"ことは、何かの関連があるのかもしれない。

糸紡ぎ部屋

 [いばら姫]たちの"眠り"を、紡錘という道具や糸紡ぎという仕事そのものからではなく、「糸紡ぎをする部屋」から辿る見方がある。糸紡ぎ作業をしたから眠ったわけではなく、糸紡ぎ作業をする部屋で眠ることに意味がある、というのである。

 中世から近世までの西欧全体において(ロシアでは二十世紀初頭まで)、「糸紡ぎ部屋」という習俗が存在していた。要は、村の娘たちが夜に一つの部屋に集まって、共同で糸紡ぎ作業をしていた、ということなのだが。大抵は持ち回りで娘のいる家が場所を提供していたが、まれに常設の糸紡ぎ部屋もあったという。戸外での農作業の少なくなる冬期間、だいたい九月末ごろから翌年の二〜三月ごろまで、土日を除く平日、毎日ではないが定期的に集まっていたという。

 糸紡ぎは単調で根気の要る仕事だから、集団で作業をするのは それを紛らわせてくれて大いに歓迎された。娘たちは仕事をしながらもお喋りに花を咲かせていた。噂話から猥談、怪談、様々な民話伝承も語られていたことだろう。そして、若い娘たちの集まるところには、当然ながら若者たちも集まってくる。彼らは意中の娘の隣に座り、彼女のエプロンに落ちた糸くずを払ってやって大義名分的に触れたりした。食べ物や飲み物が持ち込まれたり、合唱や踊りや音楽演奏が行われることもあった。特に、踊りは公然と相手の体に触れることが出来て、足相撲でひっくり返ってスカートの中身をチラリと見せたり(当時の農村の女性はノーパンだった)、転んだふりをして男女が重なり合って床に倒れたり、嬉し恥ずかしい興奮をかきたてるものだった。歌は愛をテーマにして、恋人同士の問答式のものなどもよく歌われた。

 複数の男女が夜に集まれば、意中の相手に向けて何やら目論見を持っていたり、"何か"が起こることを期待していた者も少なからずいただろう。「糸紡ぎ部屋」は、そんな風な若い男女の期待と思惑に溢れた社交場だったようである。地域によっては度を外れた行為もあったようだし、時には妊娠する娘もいた。(といっても、さすがに糸紡ぎ部屋の中でコトに及ぶことは殆ど無かったようなので、誤解なきよう。)教会や当局は「不道徳な悪の温床」と決め付けて何度も禁止令を出したようだが、なかなか無くなることはなかった。親たちはそこで何が行われているのか承知していたけれども、口出しするような野暮はしようとしなかったし、むしろ奨励する風があった。何故なら、彼らの青春も糸紡ぎ部屋にあったからである。それだけ、地域社会にとって重要な場所だったのだ。

 このように書くと、とにかく淫猥な乱交場だったかのように思う人もいるかもしれないが、それなりの秩序や礼節はあったようだ。糸紡ぎ部屋にやってきた若者が嫌がる女性に強引に乱暴しようとして、逆にその場にいた他の女性たちから糸巻き棒で殴りかかられ、重傷を負って裁判沙汰に発展したこともあったらしい。夜遅く家路につくとき、相愛のカップルが暗闇に消えていこうとすると、他の仲間たちがまとわりついて妨害することもあった。これは抜け駆けを禁止する制裁だったが、娘の母親が若者たちに頼むこともあった。

 

 以上のように、糸紡ぎ部屋は浮かれた男女の交際場でもあったので、[いばら姫]たちが糸紡ぎをして"紡錘に刺される"のは、「(婚前に)純潔を失った」ことを意味している、という解釈が成り立つわけだ。実際、糸紡ぎ部屋の習俗が存在していた時代の語り手や聞き手たちは それを念頭に置いて、そのニュアンスを当たり前に感じながら物語を楽しんでいたことだろう。

 

 

 なお、中国少数民族のトン族にも、糸紡ぎ部屋によく似た習俗がある。娘たちが仲のよい数人で一つの家に集まり、糸紡ぎや機織や針仕事をする。ここには若者たちも琵琶や琴を持って集まり、娘たちと問答式の歌を歌っては恋を語るという。この家を「娘たちの家――姑娘堂クーニャンタン」か「男女の集まる場所――堂翁タンウェン」と呼ぶ。

 これらによく似ているが、一点、若者たちが通うのではなく寝泊りする点が異なっている習俗に、「若者宿」や「娘宿」がある。糸紡ぎ部屋と同じように、常設の小屋がある場合もあれば、寡婦や老人の家の部屋を間借りすることもある。ここではいわゆる夜這いや男女同宿など、男女の交友(歌や踊りと少しの仕事、行き着くところまでの恋の語らい)が自由に行われたが、勿論、年長者たちが゛それに干渉することはなかった。これは浮ついた遊びというだけではなく、ここで馴染みの相手を見つけて正式に結婚する、それを目的とすることが主だったようである。お見合い合宿だったのだ。この習俗は世界中で見られ、日本の各地にも明治の終わり頃まであった。

 かつて長崎県南高来郡小浜町と千々石町では、若者宿や娘宿が一集落に五、六戸あった。若者は十四、五歳で若者入りし(今で言う青年団に入るようなものか)、その日から夜具を持って宿に泊まり始める。宿の土間で行燈あんどんの火を灯して縄をなったり俵や草履を編んだり、夜なべ仕事をして、それから娘宿に遊びに行く。娘宿には村の有力者の家がなる。娘たちは十五、六歳でそこに泊まり始め、糸紡ぎの夜なべをする。娘たちは若者たちが遊びに来るのを拒むことが出来ず、親もここでの男女交際を禁止できなかったという。

 こう書くと、娘たちは拒みも出来ずにただ受け手だったのかと早合点する人もいそうだが、そうでもない。長崎県五島列島の福江島で、明治頃、他所から入ってきた水夫たちが村の寝宿を侵してトラブルになることが増えたので、娘宿が廃止になったことがあった。すると、娘たちは"娘宿廃止のお別れ会"に臨席していた小学校長に「先生、これじゃ結婚されんのじゃないか、相手が見つけられん」と文句を言い、実際、一年後には娘宿が復活していたそうだ。娘たちにとっても寝宿は恋を語り結婚相手を見つけるための重要な場所だったのである。

 集団で寝泊りする寝宿がない場合は、年頃になった娘の部屋が家族とは離れた場所に設置された。ここに彼女の意中の若者が通ってくる。夜這いである。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』に、バルコニーに立つジュリエットに向けてロミオが愛を語らうシーンがある。ドイツ南部やオーストラリアには自宅の二階にいる女に向けて若者が窓辺で愛を語らうフェンシュタルンという習俗があったそうだが、中国少数民族のヤオ族やトン族では娘の部屋はバルコニーのある二階にあり、夜になると恋人が訪ねて来て歌を唄い、許されると梯子をかけたりよじ登ったりして部屋に入り、愛を語らうのだという。

 なお、男ばかりが夜這いするとは限らない。例えば、京都府加佐郡東大浦村(現在の舞鶴市)河辺原では、長男が小学校を出る頃になると、親は家の脇や物置の上に「キヤ」という一人部屋を作ってくれたという。ナジミ(恋人)ができると、彼女がそこに通ってくる。今で言う"カレシの部屋"というわけだ。娘たちは夜にやって来て夜明けに帰っていく。現代は若者の性が乱れているというが、昔はずっと奔放で、しかも公認されていたのだ。(その分、制約に反した際の制裁は厳しかったようだが。)同様の慣習は京都の他に福井県にもあったようである。

いばらの垣

 『いばら姫』や『眠りの森の美女』が眠りにつくと、彼女の城の周りは見る見る生い茂った いばらや潅木などの藪で覆われ、外から殆ど見えないほどに覆い隠された。これは不思議で迫力のあるシーンで、強い印象を持っている読み手も多いだろうと思う。特に、『いばら姫』では姫が目覚める時にバラの花が咲き、いかにも姫の女性としての開花を示唆するようで、幻想的で美しい。

 この"いばらの垣"に関しても、様々な解釈が試みられているようである。グリムはブリュンヒルデを覆う炎の垣と関連させて「暁の象徴」としたようだが、これはいささか こじつけの感が強いだろう。概ね、垣は中に眠る姫を守るために張り巡らされたものであり(『眠りの森の美女』では、垣は姫を守るために仙女が作ったものだと明記されている。)、彼女の外界への拒絶、あるいは親の庇護などを表す、と説明されるようだ。

 けれども、『恋に溺れた継母』を読んでみると、その解釈に疑問が生じてくる。ここでは、ヘアピンをさして死んだ王子が地面に飲み込まれ、その上を潅木などが覆って藪になり、すっかり隠してしまう。横たわった王子を囲んで隠すのではなく、地面の中の王子の上に生えているのだ。――そう、これは死体の上に木々が生い茂るイメージなのである。

 眠り姫たちは、後に生き返ることから「魔法の眠りについている」と説明されるけれども、実態は死んでいる。眠った者を覆い尽くす藪のモチーフは、それを端的に表しているのではないか。また、【三つの愛のオレンジ】や【死者の歌】のような、殺された者から植物が生えて転生・再生するというイメージもあるように思う。蛇婿系の『三人姉妹』では、姉に木の上に放置され殺された娘が血と涙を流し続け、そこにあらゆる植物が繁茂して森になる。後に彼女の息子がこの森の草から笛を作って吹くと、笛の音が死者の声となって鳴り響く。彼女は幾つもの転生を繰り返した後に娘として再生し、夫との再婚を果たす。

 

 死者が木の垣に覆われる、というと、私は日本神話の国譲りの際のエピソード、オオクニヌシの長男のヤエコトシロヌシが傾いた船を不吉なまじないで青柴垣に変えて中に隠れ去ってしまうシーンを思い出す。ここにも、死者が植物の垣の中に隠れるというイメージがあるように思うからだ。青柴垣は神(霊)の隠れこもる聖域を示すものでもあって、冥界としての森や山の縮小版だろうと思う。思えば、『太陽と月とターリア』では、眠り姫の館が垣で覆われるシーンはないが、やはり館は森の中にあったと語られる。『白雪姫』もそうだ。眠り姫が眠る場所は、冥界――森の中でなければならないのである。

 そうしてみると、ブリュンヒルデや『あなたはだれ?』の猟師の娘が眠る山も冥界を示していて、前述したように そこを覆う炎の垣は地獄の炎を表しているはずだし、『ペルセフォレの物語』や[命の水]系の眠り姫たちが眠る、高い塀と鉄の扉で閉ざされた魔法の城も、やはり冥界を表しているのだろう。実際に、そこでは龍が番をし、通常は冥界にあるとされる生命の果実や生命の水がある。

 

 以上のように、木の垣で覆われることが冥界に隠れることを象徴するのだとすれば、それが「一度死んで再生することを示す通過儀礼」にも取り入れられていておかしくないのかもしれない。成人の通過儀礼は しばしば結婚の儀式に同化するが、日本神話でスサノオがクシナダ姫を娶ったとき、

八雲立つ 出雲八重垣 妻みに 八重垣作る その八重垣を

イ族の結婚式の仮小屋。工藤隆『四川省大涼山イ族創世神話調査記録』(大修館書店)より

 と歌う。クシナダ姫は八俣の大蛇(龍)に呑まれて一度死に――垣の中に籠もって、再生してスサノオと結婚したとも解釈できるだろうか。(また、日本では巫女は一室に籠もって夫たる神と神婚する。)

 実際、中国四川省の少数民族イ族では、結婚の儀式として花嫁はしばらく仮小屋に籠もる。かつてイ族の家の壁は竹垣で作られていたそうで、この花嫁一人がようやく座れる程度の仮小屋の壁も竹垣になっている。まさに、作られた垣の中で「妻籠み」しているわけだ。この仮小屋の四隅の柱は枝葉の付いた松の木の細い枝になっていて、どことなく、日本で今でもお祓いの際などに作る、四本の竹を立てて注連縄をめぐらせた"聖域"を思い起こさせる。松も竹も常緑で"不死・再生"の象徴とされる聖木であり、日本では竹林は冥界と同一視される。

龍の口と女神の園

 【眠り姫】は冥界に下って花嫁を得る話、とも解釈できる。また、[命の水]では、英雄は若返りのリンゴや生命の水を得るために冥界に向かい、眠り姫に出会う。

 

 ギリシア神話の英雄ヘラクレスは、十二の冒険の一つとして「黄昏の娘たちヘスペリデスの園の黄金のリンゴの入手」を行っている。ヘスペリデスの園は世界の果て、冥界の一端にあり、そこでは大女神ヘラまたはアフロディテの持ち物である黄金のリンゴの木を小女神たちヘスペリデスや多頭の竜のラドンが守っている。ヘラクレスがどのようにしてこの園へ至り、どのようにしてリンゴを入手したかは、様々な異伝があって一定はしていない。ある説によれば、彼はエリダノス川(世界の果ての川とされていた)の川岸で精霊ニンフたちの助言を得て、蛇・水・火に次々に変身して逃れようとする海神を捕まえて道を教えさせ、太陽神が冥界に渡るための黄金の杯に乗って海を渡り、文化神プロメテウスの助言を得て、自らは園に入らず巨人アトラスにリンゴを取ってこらせた。というのも、女神の園に侵入した男は二度と戻ってこれない定めだったからである。しかし、陶器画などに描かれている別の物語によれば、ヘラクレスは自ら園に侵入し龍を殺した。日本神話のスサノオがそうしたように、彼に従う魔女(カリプソまたはメディア)が龍に酒を飲ませ、ヘスペリスたちは自らリンゴをもいで英雄に差し出している。

 このような、異界に生命の果実(水)のある園があり、そこに女神と龍がいて、進入した英雄が龍を殺して果実を奪い、女神に愛される……という伝承は、世界中で頻繁に見ることが出来る。もっとも、「生命樹、女神、龍(怪物)」が必ずセットになっているわけでもなくて、どれかが欠けていたり歪んでいることも多いが。キリスト教の伝承では、知恵の木の蛇がイヴをそそのかして実を盗ませるし、生命の木の前には多頭の怪物ケルビムと燃えて回転する剣(雷電〜龍)が道をふさいでいる。ペルシアの伝承では生命樹を二匹の大魚が護り、北欧の伝承では運命の女神たちが世界樹を護る一方で龍がその根をかじっている。ヘラクレスの例に戻れば、川(この世とあの世の境界)で出会う精霊たちは女神であり、蛇に変身する海神は龍であって、異界の門番としての女神と龍のモチーフが重複して現われている。

 どうして、生命樹(果実、泉)と、女神と、龍(怪物)はセットで語られることが多いのだろうか?

 女神が生命樹と関連付けられるのは よく分かる。子供を生み出すことの出来る女性の胎内は神秘の場所であり、富を内蔵する冥界と同一視されていた。だから女神は冥界に、生命の根源の象徴たる生命樹や生命の泉と共に現われる。

 それでは、龍はなんなのだろう?

 以前、私は龍を太陽神の暗黒の姿なのではないかと考えていた。太陽は昼の間は天にあって世界に生命を与えるが、夜になると冥界に沈んで、子供を貪り食う人食いになる。また、キリスト教のルシファーの伝承が語るように、太陽神の分身たる光の神は地に投げ落とされて悪龍に変わるし、何より、太陽神はしばしば燃え輝いて飛行する大蛇または大鳥に例えられる。これらのことや、龍〜蛇は男根の象徴とされることから、龍は女神の永遠の伴侶〜太陽英雄なのだろう、と考えた。そこに侵入して女神を奪う英雄は新たな太陽神であり、次代の龍であって、即位後には更に次代の英雄に殺される運命にある。

 この考えの全てが外れているとは思わないが、今はもう少し別の解釈も持っている。結論から言えば、女神と龍は同一の存在ではないのか、と感じている。

 ギリシア神話に、英雄イアソンが黄金の羊の皮を奪いに行く話がある。ギリシア語で羊とリンゴを表す単語が同じなので、実際には彼も黄金のリンゴを奪いに行ったわけである。この毛皮はアイア王アイエテスが所持していた。彼は太陽神ヘリオスの息子であり、太陽神〜冥王の縮小版でもある。新しい時代の物語では、イアソンはアイエテスの出した二つの難題をこなした後、番をしていた龍を王女メディアの薬草で眠らせて金羊皮を盗み出したとされる。冥王のもとから花嫁と呪宝を奪って逃げ出す、おなじみのパターンだ。

 しかし、もっと古い時代の物語では、イアソンは龍の口の中に入り、その腹の中から金羊皮を取ってきている。陶器画には、大蛇の口の中から死んだようにぐったり上半身を垂らしているイアソンの姿が描かれている。死んだようになっている英雄を甦らせるのは、花嫁たる女神(メディア)の役目だ。

 このように、英雄の龍殺しは、古い時代には「英雄が怪物の腹の中に入ってまた出てくる」という話だったらしい。これは、冥界に下ってまた出てくる――「一度死んで生まれ変わる」ことであり、「母の胎に戻って産み直してもらう」ことでもあった。女神(花嫁)が英雄を手助けする一方で、時に英雄を(嫉妬や怒りから)殺す役回りになるのは、本来、彼女が英雄に死を与えて産みなおす存在だからなのだ。

 

 ハンガリーの民話『天まで届く木に、英雄は怪物に呑まれるものだ、ということを示す面白いシーンがある。王女が二十四の頭の龍に連れ去られ、城の庭にある天まで届く木の上の異世界の館にとらわれて妻にされている。多くの挑戦者が王女を救い出そうと試みるが木を登ることすら出来ない。城の豚飼いの青年ヤーノシュは子豚の助言を受けて木に登り、龍の城に入り込む。

「臭いぞ、臭いぞ、やって来たのは何者だ? よそ者がやって来たのは帰る途中から分かっていたぞ」

「怒らないでください、あなた。私がいなくなったのを心配して、うちの豚飼いが下界から登って来たんです。これから ここで私に奉公するというのです」

「どこにいるのだ? 連れて来い!」

「連れてきますけど、哀れな豚飼いをいじめないでくださいね。これからずっとここで奉公するのですから」

 王女は洗い桶を持ち上げてヤーノシュを外に出した。龍はヤーノシュの前に立って眺め、そしてパクリとやり、呑み込んだ。それから吐き出し、またパクリとやり、呑み込み、そして吐き出した。三度同じことをした。

 この後、ヤーノシュは館で冷遇されていた神馬を助け、その助言で王女に龍の弱点を探らせ、龍を殺して神馬に乗って下界に帰り、王女と結婚して王位を継ぐ。

 

 子供が大人になるための通過儀礼として、アフリカやニューギニア、北米の狩猟民族においては、少年たちは怪物を模した建物の中をくぐったり、溝を潜ったりする。少年たちは怪物に呑まれ出てくることによって"一人前の大人の男に生まれ変わる"のである。家を追われた白雪姫が森の家に入り、死んで、森を出て甦って、一人前の女として結婚するように。

 日本でも、仏像や寺院の柱の穴、自然の洞窟をくぐることを"胎内潜り"と言い、こうすることで清められ生まれ変わると信じられている。

 冥界――女神の胎内には、黄金のリンゴや生命の水をはじめとした"宝"が隠されている。ニューギニアからメラネシア、ポリネシア、南米にかけての地域には、"火"が女の胎内から出てもたらされる、という伝承が多く伝わっている。火は文化的な生活に欠かせない"宝"だ。同様に、女が体内から食べ物を取り出したり、水(魚)が無限に湧き出る容器を持っているという伝承も数多い。"富"は全て女の中に隠され、独占されている。

 一方、日本を含む世界中に「男が大魚に呑まれてまた出てくる」話があるが、大抵の場合、魚の体内には火(熱)があるか、英雄によって火が焚かれる。呑みこむ怪物と女神は、どちらも体内に宝(火)を隠し持っているわけだ。(これは、地獄には燃え盛る炎や煮えたぎる釜がある……という世界的な信仰に関連する。)この体内の宝は、西欧の龍が体内に神秘的な宝石(宝)を持っていたり、龍の体内の肉――心臓や肝臓を焼いて食べると霊的能力を得られることと、無関係ではあるまい。実際、大魚の腹から生還した男は霊的能力所持者――優れた聖職者になったと語られることも多い。

 

 龍〜蛇を食べると霊的能力(獣〜霊と交信できるようになる、聴き耳)が授かる、という思想の例として、チェコの民話の冒頭部分を抜粋する。(ズラトブラースカ/『チェコスロバキアの民話』 大竹國弘訳編 恒文社 1980.)

 ある日、老いた王様のところへ一人の老婆が蛇を籠に入れて持参した。

「この蛇を食べれば、地上の動物が何を喋り、空飛ぶ鳥が何を歌い、川の魚が何を話しているか全て分かりますぞ」

 王様は喜んで老婆に過分の礼をして蛇を受け取り、召使のイージークを呼んで、この蛇を調理して昼食に出すように命じた。

「だが、いいか。この"魚"の舌を無くしたら、お前の命は無いものと思え」

 イージークは(なんて変な"魚"だろう、こんな魚は見たことが無い。まるで蛇みたいだ。)と思いながら料理番に渡した。やがて料理が出来上がると、イージークは辺りをうかがい、魚の舌をちょっと つまんで食べてみた。その途端、イージークの耳は虫や小鳥たちの会話をとらえていた。

 この後、イージークは怒った王に"金髪の乙女(太陽の娘)・ズラトブラースカ"を連れて来いという難題を課せられ、鳥獣たちの声を聞いて援助してもらい成し遂げる。王はズラトブラースカを自分の妻にしてイージークを殺すが、ズラトブラースカが死に水・生き水でより美しく甦らせる。王は羨んで真似て、甦ることが出来ずに死ぬ。イージークがズラトブラースカを妻にして王位を継ぐ。

 ここでは、龍(蛇)と魚を相似のものとして見る思想も現われている。また、心臓ではなく舌に霊力があることになっているが、民話では、蛇が耳を舐めたり息を吹きかけることによって、主人公に聴き耳の能力が授かるモチーフを見かける。耳を舐めるためには主人公の首に巻きつかなくてはならないが、巻きつく・舐めることが「呑み込む」ことの変形だと考えられる。

 

 このように、呑みこむ龍(怪物)と、胎内に宝を所持している女神は、相似の存在として見ることが出来る。英雄は、宝を得るために自らその腹の中へも潜りこむ。しかし、冥界へ下る行為は、帰還の失敗――"死"の危険と隣り合わせである。ポリネシアのマオリ族の英雄マウイは、死の老女神ヒネ=ヌイ=テ=ポ(日本神話のイザナミに相当する)が眠っていたとき、彼女の陰部から潜り込んで口から出ようとした。これは、この世から"死"をなくすためであった。ゲルマンの英雄ジークフリートが龍の血を浴びて不死身になったように。しかし、その様子を見ていた鳥が禁を破って笑い声を立てたため、目を覚ました老女神に殺され、失敗してしまったという。

参考>> 『コースチンの息子』 

 

 観念は、時代と共に変わる。現在の私たちは、怪物の口の中に自ら入る行為を異様だとしか思えない。観念の変化と共に物語も変わっていく。

怪物の中の宝を得るために自ら潜り込む
 ↓
怪物を退治して宝を奪うため、あるいは先に怪物に呑まれた被害者を救うために怪物の口の中に飛び込み、中から切り裂く
(例えば、一寸法師は鬼に呑まれ、体内を刺して鬼を殺す。鬼の体内から帰還した彼は、花嫁に打出の小槌で叩き潰されて(一度死んで)から一人前の男に変わり、結婚する。)
 ↓
体内には入らずに、怪物を殺して宝を奪う

 このようにして、「龍に呑まれる物語」は「龍を殺す物語」に変わった。また、自らが龍の腹に入る代わりに、龍に生贄や食べ物を与える観念が現われたと思われる。龍の生贄に捧げられた姫君を英雄が救う、怪物の口の中に食べ物と偽って刃物や焼け石を投げ込んで殺す、冥界に出入りするために門番の怪物にお菓子を投げ与える(供物を捧げる)という、おなじみのモチーフである。

 

 余談だが、『ハイヌヴェレ神話』に代表される、「胎内に富を持つ女神を殺して、民衆が富を我が物にする」という殺され女神の神話も、龍殺しの相似モチーフなのではないかと思う。古い時代には「母なる女神の胎内に富がある」と当たり前に捉えられていた観念が、時代が移ると共に「女神の胎内に入るなんて異様、体内から排出される富なんて汚い、独占している女神はズルい」というものに変わり、女神は殺されて腹を割かれ、富を無限に湧き出す容器は奪われ暴走し壊れて、人々は富を普遍的に所持することになったのではないだろうか。

結婚の証

 【眠り姫】で人がもっとも奇異と感じるところは、死んだように眠っている姫に王子が性的イタズラをする点にあるだろう。

 ……と、言うと、グリムやペローの眠り姫しか知らない人は「えっ?」と思うかもしれないが、その他の眠り姫は大抵、眠っている間に王子に抱かれてしまっている。あからさまな描写があるものは少ないが、[水の命]系では子供まで産んでいるのだから、その行為があったことは明白である。

 よく、【白雪姫】のパロディで、「王子は死姦愛好の変質者ではないか」というツッコミがなされているが……眠り姫を犯してしまう王子も、やはり極悪な変質者といえるのだろうか。(『太陽と月とターリア』の王はいかにも遊び人の変質者っぽい。)

 

 ロシアのウラジミール=プロップは、「白雪姫が森の七人の小人に保護され、一度死んで、森から出て結婚する」エピソードは、現実的な慣習に沿ったものであるとした。様々な民族において、一定の年齢に達した少年たちは村から隔離された(森の中の)家に集められ、成人するための通過儀礼として しばらく集団生活を送る。この男宿にいる間、社会観念的に彼らは「死んだ」状態にある。ここで彼らは"成人の男としての心得や呪術的な知識"を教えられる。どうも、今で言うなら体育会系合宿のような感じだったようだ。プロップは、この男宿に一人または数人の少女が、少年たちの一時的な妻、共有財産として現実に存在していたとする。親たちが好んで娘をそこに送ったという。(この場合、夜這いするのではなく恒常的に同宿していたようだ。)少年たちが男宿から出て村に戻る時には、「一度死んでから、立派な男として甦った」という儀式を行うものだったが、同じように、妻役の少女が(大抵は正式な結婚のために)男宿を出る時にも「一度死んでから甦った」という儀式を行った。その記憶が【白雪姫】のエピソードに現われているのだと。

 この説を根底に置いて考えると、眠ったままの娘を王子が抱く行為には簡単に説明がついてしまう。村から隔離された森の中の男宿……すなわち観念的な冥界で、少年たちは社会的死者として暮らす。少年たちの擬似的な妻として同居している少女たちもまた、社会的には"死んだ"存在である。王子が眠った(死んだ)ままの姫を犯すのは、男宿で社会的死者の少年と少女が同棲関係を結ぶことを意味しているわけだ。ちなみに、白雪姫を目覚めさせる王子は、少女が男宿から出た(社会的に生き返った)後に、正式に結婚する相手を意味している。白雪姫の男宿での仮の夫は、七人の小人または盗賊たちである。

 

 ところで、王子が眠り姫を犯した後に、その証拠として何か品物を置いていったり、姫と自分の品物を取り替えていくことがある。最も形骸化すると、ただ「枕元に名前を書いていく」ことになるが、大抵は「指輪」か「ベルト」を奪うか交換していく。

 現代でも指輪の交換は婚約エンゲージを意味しているし、昔の日本では初夜を済ませた男女は互いの着物を交換する慣わしがあった。西欧にも、娘が結婚相手にシャツ(肌着)を作って与える習俗があったようである。だから、【眠り姫】の王子がそうするのも婚約を意味していると思われる。

 [ニーベルンゲン伝説]では、ここで与えられたり奪われたりする指輪には重要な意味がもたされている。それは呪われた(冥界の)アイテムであって、持ち主に力を与える半面、不幸にするという。これは古い神話で冥界の女神が英雄に与える黄金のリンゴの相似物だが(ニーベルンゲンでは英雄が花嫁に与える形に裏返されている)、愛の無い婚約・絆は呪いに他ならないからだとも解釈できる。ジークフリートとブリュンヒルドの間に愛があったとき、指輪は輝かしい愛の証だった。しかし愛が失われたとき、指輪は呪いのアイテムとなって二人を死へ導いていく。

 しかし、別の見方をすることも出来る。指輪は、"権力"の象徴でもある。ジークフリートがブリュンヒルデに与えた指輪を奪い去るのは、彼女の力を奪い去ったのだ、と解釈することも出来る。事実、彼に強引に奪われてからは、ブリュンヒルデは戦女神としての力を失い、夫に従順な妻になってしまったと、物語中ではっきり述べられている。

 

 ギリシア神話の英雄ヘラクレスは、女戦士アマゾニスの女王であり神の娘でもあるヒッポリュテの帯を奪う冒険をしている。この物語は誤解とすれ違いの末に悲劇に終わるのだが――ヒッポリュテはヘラクレスを歓迎して自ら帯を渡そうとしたが、女王を奪われると恐れた部下たちがヘラクレス勢を攻撃、殺し合いになった末、ヘラクレスはヒッポリュテを殺して帯を奪い取った――、やはり、これも異界の女王の帯をその夫たる英雄が手に入れるモチーフだと思われる。しかも、ジーフリトがブリュンヒルデから奪ったベルトを妻クリームヒルトに与えたように、それを欲しがったのは別の女、王女アドメテであった。この帯はヒッポリュテの父である軍神アレスの授けたもので、女王が最も勇敢である印――"力"の象徴であった。別説では、ヒッポリュテはヘラクレスの部下として同行していたテセウス(ミノタウロスを退治した英雄)の捕虜となって帯を奪われ、一子ヒッポリュトスを産んだという。だが、後にテセウスは若いパイドラーと結婚しようとした。怒ったヒッポリュテは部下を率いて攻めてきたが、結局この戦いで命を落としたという。不実な夫を殺すまでは出来なかったものの、[ニーベルンゲン伝説]のブリュンヒルドを思わせる。息子ヒッポリュトスは義母パイドラーに言い寄られ、拒んだために讒言され、父に憎まれて、馬に引き裂かれて惨死することになる。彼は、『恋に溺れた継母』の王子のようには復活できない。というのも、彼には恋人がいなかった――母ヒッポリュテと同じく、純潔の女神アルテミスの信者だったからである。

 アマゾニスは北アフリカ、アナトリア、黒海地域に住んでいた実在の母系部族である。彼らは女神を崇拝し、また、馬を飼いならして強力な騎馬部隊を所持していた。よってか、彼らの女神は"メス馬"として信仰されていたという。神話上、トロヤ戦争にもアマゾニスは参戦し、英雄アキレスがアマゾニスの女王ペンテシレイアを殺した。ホメロスは、アキレスが死の間際の女王を見てその美しさに恋をした、と悲恋を語っている。だが、ある解釈によればアキレスは女王の死体を死姦したのだという。これは女王に恋をしたからではなく、アマゾニスの亡霊の祟りを逃れるための まじないであった。モノにしてしまえば女は黙る、という、非常に男性上位のまじないだと思う。

 

 死んだ女を犯すというと、イラン系少数民族オセット人の『ナルト叙事詩』のゼラゼの物語を思い出す。[命の水]に似た『火の鳥』系の民話や、[二人兄弟]、日本神話の『海幸・山幸』をも想起させる物語である。

 英雄エフセルテグは双子の兄のエフサと、全ての傷と病を癒す黄金のリンゴの木の番をする。この実は一日一個だけが昼に実って夕方に食べ頃になるのだが、夜の間に必ず盗まれてしまうのだ。兄を眠らせてエフセルテグが番をしていた夜明け間近、不思議に光り輝く三羽の鳩が飛来してリンゴを食べようとした。エフセルテグは矢で一羽の鳩を傷つけ、その血を辿って一人で海底に下りる。兄には「海面が赤い泡で覆われたら諦めてくれ、しかし白い泡で覆われたらきっと生きて戻るから一年間ここで待っていてくれ」と言い残した。

 海底には螺鈿の壁・青ガラスの床・天井には明けの明星が輝く海王ドンベッテュルの宮があり、美しい末娘のゼラゼが矢傷で死にかかっていた。ドンベッテュルの七人の息子たちは妹がエフセルテグとエフサの兄弟に傷つけられたと話し、この二人が互いの剣で殺しあえばいい、と呪っていた。エフセルテグは治療法を聞き、それを果たした者はゼラゼの夫になれると約束させると、我こそはエフセルテグだと明かして、持ってきた鳩の血の染みた土をゼラゼに吹きかけて治療し、回復したゼラゼの婿として海の宮で幸せに暮らした。

 しかし、ある日突然 地上に待たせてある兄のことが気になったエフセルテグは、地上に帰ると言い出した。ゼラゼは自分も同行すると言い、頭から抜いた一本の金髪で自分と夫を二匹の大魚に変身させ、夫婦は揃って地上に帰った。海辺には弟を待つエフサの建てた小屋があったが、留守だった。エフセルテグが兄を探しに行ったのと入れ違いにエフサが戻った。ゼラゼはてっきり夫が帰ってきたものと思い、彼が寝床に抜き身の剣を置いて触れようとしないので うずくまって悲憤した。そこにエフセルテグが戻り、兄が妻を犯したものと思い込んで、すぐに兄を短剣で刺し殺した。妻の話を聞いて誤解だったと知ると、絶望して同じ剣で自刃した。こうして海王の息子たちの呪詛は成就した。

 ゼラゼが二人の死体の前で一晩泣き明かしていると、三本足の馬に乗って猛々しい猟犬を供に天空を駆け回るワステュルジという精霊がやって来て、双子の兄弟を埋葬してやる代わりに自分と結婚するように言った。彼は以前からゼラゼに想いを寄せていたのだ。ゼラゼが承知するとワステュルジは鞭で地面を叩き、ひとりでに白壁に囲まれた壮麗な墓が出来ていた。けれども、ゼラゼは海で体を洗うと偽って、そのまま海の宮に逃げ帰った。

 ゼラゼはエフセルテグの子を宿しており、母親に「英雄ナルトの子はナルトの村で産むものです」と言われて再び地上に現われ、エフセルテグの家の馬小屋でウリュズメグとヘミュツの双子の男児を産んだ。この子供たちも弓の名手の英雄になる。

 その後、ゼラゼは地上に留まって暮らしていたが、やがて病気になって死んだ。死ぬ前に、彼女は「死後三晩は私の墓を見張ってください、私には恐ろしい債権者があり、墓の中まで取り立てにやってくるでしょうから」と遺言した。それから二晩はウリュズメグが番をして何事もなかったが、三晩目にヘミュツが見張りをしたいと言い出して、ウリュズメグが止めるのも聞かずに墓に行った。ワステュルジはこの機会を待っていて、楽しそうに歌い騒ぐ物音を響かせたので、ヘミュツは誘い出されて墓から離れてしまった。彼が墓から離れるともう墓室の中が明るくなり、ワステュルジが入り込んでいた。彼がゼラゼの死体を鞭で打つと、死んだままであったが、まるで生きているかのように生き生きとなって生前の七倍もの美しさで輝いた。ワステュルジは墓の中でゼラゼの死体を存分に犯し、自分の馬にも交わらせてから立ち去った。ゼラゼの死体は妊娠し、一年後、墓の中で神馬ドゥルドゥルと絶世の美女サタナを産んだという。

 "死の眠り"のまま男に犯されて子を産むゼラゼは、『太陽と月とターリア』や『ペルセフォレの物語』を思わせる。また、神馬に乗った男が墓穴(冥界)にやって来て眠っている美女を犯す……というと、[命の水]にも当てはまってしまう。

 ゼラゼと交わるワステュルジが、三本足の馬で天空を飛んでくるのは興味深い。英雄の乗る天さえ駆ける神馬は、しばしば三本足やびっこ引きなど、不具の馬として語られるからだ。伝承では足が不自由=死者と表されていることが多く、一本の足だけが不自由だったり無かったりするのは、半分だけ冥界に属する者、冥界と現界を行き来できる者、を示しているものと思われる。なお、ワステュルジが馬に乗り猟犬を連れ天を駆け巡る様は、北欧の主神オーディンの死の騎行をも思わせる。死者を引き連れ天空を騎行するオーディンは、ここでは冥界の神である。


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