各国のかまど神の由来話

中国

 昔、張郎と丁香という幼馴染の男女が夫婦になった。ところが張郎は遊女の李海棠に狂い、ついに丁香を追い出して遊女と再婚した。ところが、その家の財産は元々丁香の持参金で、家を出るときその財産の銀を全て持っていってしまったので、張郎はたちまち貧乏になり、遊女にも見限られてしまった。丁香のほうは持ち出した銀で家を買って安穏と暮らした。

 ある日、そうとは知らずに張郎が丁香の家に物乞いにやってきた。丁香は哀れんで暖かい汁蕎麦を振舞ったが、未だに気付かない張郎が「奥さんは本当にいい人だ、もう一杯恵んでくださいませんか」などと卑屈に言うのでカッとなり、「貴方の目は節穴なの、以前妻だった私を奥さんだなんて呼んで!」と罵った。張郎はやっと気付いてひどく恥じ、竈の熱い灰の中に潜って身を隠そうとした。丁香は引きずり出そうとしたが張郎は潜るのをやめず、とうとう竈の残り火で焼け死んでしまった。

 丁香は哀れんで前の夫の葬式を出してやり、その姿を絵に描いて竈の側に貼って、竈に火を入れるたびに念仏を唱えた。やがてそれが周囲に広まり、張郎、丁香、李海棠などの姿を描いたお札が一般に竈神として祀られるようになったという。



参考文献
『ことばとかたちの部屋』 寺内重夫著
http://homepage1.nifty.com/kotobatokatachi/index.html

 

中国

 昔、張郎という貧しい男が母と暮らしていた。貧しいので嫁の来てもなかったが、やがて両親を亡くした丁香という娘が嫁いで来た。この嫁は働き者で気立てがよく老母にもよく仕え、夫婦は一生懸命に働いたのでだんだん家は豊かになったが、そうすると張郎は生来の怠け癖が出て、丁香にばかり働かせて遊び歩き、ついには李大紅・小紅という美人姉妹と浮気して、丁香を家から追い出してしまった。丁香は荷車と牛と服二着だけを与えられ、山奥に行って小屋を建て、そこを開墾した。

 張郎はさっそく李姉妹を家に入れ、二人の美しい妻と毎日遊んで暮らした。母は息子たちの放蕩ぶりに苛立ちながら死んだ。家の財産はたちまち食いつぶされ、貧乏になると、二人の妻は逃げて家から出て行った。張郎は住む家さえ失い、ワラ小屋に住んだが、ボヤを出して煙で失明してしまった。彼は「野垂れ死んで犬に食われたなら、犬の腹が俺の棺桶だ」とうそぶいた。

 盲目の張郎は、ある日、ある家に物乞いに入った。優しい声の女の人がとても美味しい卵とじうどんをご馳走してくれた。食べていると中に長い髪の毛が入っていて、その先にかんざしが結んであった。張郎は『うっかり落としたのだろう、しかし売れば金になる』と思ってこっそり手の中に隠した。食べ終わると女の人が言った。

「こんなうどんを前に食べたことがあるでしょう」「声を聞いても、前の奥さんが判らないの?」

 ようやく、張郎はその女の人が前の妻の丁香であり、かんざしは故意の施しだと気付き、卵とじうどんは彼女の得意料理だったことを思い出した。張郎は恥じて走り出し、丁香の止めるのも聞かずに竈に飛び込んで焼け死んでしまった。

 後に丁香が老いて死ぬと、人々はこの夫婦の絵を竈の上に貼るようになった。張郎は悔い改めたので竈の神となり、丁香はその妻になったのだと言う。毎年12月23日に竈神は天に昇り、その年の家庭の様子を報告する。人々はいい報告をしてもらおうと、『竈神、元の名は張、馬に跨がり籠提げて、竈を抜けて玉帝に会う。天に昇って祝いを述べ、下界の平安を守る』と歌いながら、絵の竈神の口に飴を塗りつける。



参考文献
『昔話 伝説の系譜 東アジアの比較説話学』 伊藤清司著 第一書房

 

中国

 富商の張万良は従兄弟の妻・王満香に心奪われ、妻の了香を離縁して満香と再婚した。

 了香は牛車に乗り、「どこへなりと連れて行っておくれ」と牛に言った。牛車はやがて一軒のあばら家の前に停まった。そこは范西郎という青年とその母の家で、西郎は留守だった。丁香が涙ながらに「この家に世話になりたい」と訴えたところ、涙で濡れた地面が光って金銀が出てきた。こうして丁香は范家の嫁になり、手に入れた金銀で立派な家に建て替えて豆腐屋を始め、繁盛した。

 一方、張は不注意の失火で屋敷が全焼、田畑を売って新築した家がまた焼けて、ついに乞食になった。そうと知らずに范家の門口に物乞いに立つと、丁香は哀れんで台所に招き入れ、麺料理をご馳走した。それは丁香の得意料理だったので、張は目の前にいるのが前の妻だと気付き、慚愧にたえずに竈の中に飛び込んだ。丁香は慌てて助けようとしたが及ばず、自らも焼け死んでしまった。

 こうして、張は[火土]王爺、丁香は[火土]王[女乃][女乃]――夫婦の竈神として祀られたと言う。



参考文献
『ことばとかたちの部屋』 寺内重夫著
http://homepage1.nifty.com/kotobatokatachi/index.html

 

中国 チワン

 金持ちの父親が七人の娘たちに尋ねた。「恵まれた暮らしは、誰に福があるからだと思うか?」六人の娘は「父親です」と答えたが、末の娘だけは「人間の福運の有無は自分自身にあります」と答えて怒りを買い、殺されそうになった。母親がこっそり馬と銀子を与え、娘は馬に乗って出奔し、貧しい男の住む洞窟にたどり着いて押しかけ女房になった。

 妻は夫に銀子を渡し、米を買ってくるように頼んだ。ところが、途中で犬がうるさく吠え立てたので、夫は持っていた銀子を犬に投げつけてしまった。投げた銀子を探していると辺り一面に銀があることが判り、夫婦は大金持ちになった。

 一方、父親は零落して乞食になり、知らずに娘の家の門口に物乞いに立った。娘は父と知って台所に招き入れてもてなすが、父は相手が殺そうとした娘であると気付き、恥じて竈に入って死んだ。娘は父を竈神として祀った。



参考文献
『昔話 伝説の系譜 東アジアの比較説話学』 伊藤清司著 第一書房

 

中国 ミャオ

 大金持ちの夫婦に子供が生まれたが、夫は妻の貧しい実家からの祝い金が少ないことに腹を立て、馬と銀子を与えて離縁した。妻は馬に乗って赴くままに駆け、日が暮れて山中のあばら家にたどり着き、そこに住む芝刈男の押しかけ女房になった。

 妻は夫に銀子を渡し、米を買いに行かせるが、夫は吠えかけた犬に銀子を投げつけて帰ってきた。けれども、これがきっかけになって辺りに金銀が沢山あることが判り、夫婦は裕福になった。

 一方、前の夫は零落して乞食になっており、金持ちの屋敷で乞食たちに食べ物を施すと聞いて出かけるが運悪くいつもありつけない。その家の奥方が気の毒に思って台所に招きいれ、乞食が前夫であることに気づく。残してきた子供のことを聞きただし、土産に餅二十個を持たせた。実は、その餅の中には銀子が隠してあったのだが、そうと知らない前夫はあまりに重いので十八個を飯と交換して食べてしまい、銀子は二枚しか手に入らなかった。数日後、前夫は子供を連れて訪ねてくるが、妻が二十個の銀子について尋ねると、己の不運を嘆いて竈に入って焼け死んでしまった。

 前夫は、後に[火土]王菩薩として祀られたと言う。(『[火土]神故事乙』)



参考文献
『昔話 伝説の系譜 東アジアの比較説話学』 伊藤清司著 第一書房

 

日本

 近江国で同時刻に生まれた男女が産神の問答通りに夫婦になり、持って生まれた女の福運によって大変裕福に暮らしていた。ところが夫は遊び女との放蕩にふけり、ついには妻を離縁してしまった。妻は召使の女を連れて伊勢の叔母を頼っていく途中、雨宿りをした家のやもめ男と再婚し、二人は女の福運で裕福になった。

 一方、前夫は放蕩三昧の挙句に落ちぶれて、家々を回って箕を売る暮らしになっていた。ある時、そうと知らずに彼は前の妻の家に売りにやってきた。妻は気付いて哀れみ、小袖ひと重ねに銭五百文など与えた。何も気付かぬ前夫は味を占め、もう一度妻の家にやってきた。妻は人目をはばかって一度帰し、夜になってから召使の女の家に招いてもてなさせた。そこで御簾越しに視線が合った時、前夫は初めてそれが前の妻だと気が付いて、恥ずかしさのあまり倒れて死んだ。妻は哀れみ、その死体を釜屋の後ろに葬らせ、弔った。

 こうして前夫は釜神となり、妻は釜屋の守護神になったという。(『神道集』巻七「釜神事」、『琉球神道記』)



参考文献
『昔話 伝説の系譜 東アジアの比較説話学』 伊藤清司著 第一書房

 

日本

 摂津国難波に夫婦がいたが、あまりの貧困ゆえに暮らしが立ち行かないので離婚することにした。女は京に行って裕福な家に仕え、その家の妻が亡くなって後に後妻におさまった。

 しかし女は昔の夫が忘れられず、口実をつくって難波に行った。前の夫は既に行方不明になっていたが、たまたま元の家の近くであしを担う浮浪者がいたので呼び止めてみると、前の夫だった。哀れに思い、芦を高い値段で買って食べ物を恵んだ。前夫は牛車の中の絹布の下簾したすだれの間から貴人をかいま見て、それがかつての妻だと気付き、恥じて近くの他人の家に逃げ込み、竈の陰に隠れた。捜させると、前夫はこう詠った。

君なくて あしかりけりと思ふにも いとど難波の浦ぞ住みうき

 応えて、女はこう詠った。

あしからじ とてこそ人の別れけめ なにか難波の浦の住みうき

 そして前夫に着物を与えた。

(『大和物語』下巻)
『古今和歌六帖』、『拾遺和歌集』、『今昔物語集』巻30-15、『宝物集』巻二、『源平盛衰記』巻36、謡曲『芦刈』、御伽草子『ちくさ』

 

日本 千葉県

 共に裕福な本家と分家があった。ある夜、分家の者が雨に降られて神の家に泊まると、同じ時に泊まっていた客が どうろく神と「今夜本家と分家にお産がある、本家は男で分家は女、夫婦にすると幸運になる」と問答していた。帰るとその通りに子供が生まれていたので、二人を夫婦にした。しかし、夫は妻の顔が良くないと言って、赤飯をやって牛に乗せて追い出した。妻は山中の一軒家に行ってそこの嫁となり、使用人を使うような裕福な暮らしをするようになった。

 一方、夫は零落してざる売りになっていた。道に迷って山中の家に行くと、そこの嫁が笊を買ってくれ、明日も来いと言う。名を尋ねると前の女房だと教えた。前夫は驚き、泡を吹いて死んでしまった。妻は前夫を竈の後ろに埋め、牡丹餅を供えた。使用人たちは牡丹餅を食べ、喜んで荒神様を拝んだ。荒神様は竈の神である。だから、荒神様を女神だと言うのは間違っている。



参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-

 

日本 福島県

 ある男が女房を離縁して追い出した後 落ちぶれ、乞食になった。寒い冬の日、暖を取ろうとして油屋に入ると、出てきたのは離縁した女房だった。その油屋は女房の再婚先だったのだ。男は驚いてその場で死んだ。女房は竈の前で前夫の霊を祀った。



参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-

 

日本 新潟県

 貧乏な釜神が夫婦別れをした。その後、女はいいところに後家に入ったが、男は落ちぶれて乞食になった。ある時、男が前の女房のところに物乞いに来たので、女は哀れんでおむすびの中にお金を入れておいた。そうとは知らない乞食は空腹のあまり がっついておむすびを食べたので、お金が喉につかえて死んでしまった。



参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-

 

ベトナム キン族

 昔、一組の夫婦がいたが、夫婦の暮らし向きは悪く、妻は家を飛びだして金持ちの男と再婚した。

 その後、妻の家に物乞いがやってきた。白米を与えたとき、彼女はそれが前の夫だと気づいた。 今の夫が昼飯を食べに戻る時間だったので、妻は前夫を家に入れたことを知られてはマズいと思い、前夫にワラ束の中に隠れてくれと頼んだ。今の夫が帰ってきて、畑にやる肥料にするための灰を作ろうと、何も知らずに台所のワラに火をつけた。可哀想に、前夫はワラの中で焼け死んでしまった。妻は激しく哀れみ、自分も火に飛び込んで死んだ。それを見た今の夫は、事情はまるで解らなかったが、妻を哀れんで自らも火に飛び込んだ。

 天はこの三人を哀れみ、三人全員を竃神にした。今の夫は土公になり、竃の番をする。前の夫は土地神になり、家を守護する。そして妻は料理の守護神になった。

 ベトナムでは土公は大地の女神の一形態で、竈の夫婦神であり、家庭と財産を守護するとされる。何故なら、定住して家を構える者はすなわち農業生活者であり、大地の女神に富を与えられ守護される存在だからである。

 

ベトナム チャム族

 昔、孝行者の三兄弟がいて、それぞれ家庭を持ちながらも老いた父に孝養を尽くしていた。父親が死ぬと、三兄弟はその遺言に従って棺桶を担いで放浪し、紐が切れて棺桶が落ちた岩の上を墓所と定めた。

 三兄弟は、順番に一晩ずつ棺桶の番をした。長兄が番をしていると、夜明け近くに棺桶の下の岩が割れ、その中から助けを求める声が聞こえた。それは巨竜で、あくびをした拍子に棺桶が喉に落ちかかって苦しいから助けてくれ、助けてくれたら金の壷をやろう、と言うのだった。長兄は金の壷を手に入れ、このことを次兄に伝えた。次兄が番をしていると同じことが起こり、彼は銀の壷を手に入れた。末弟の番には、何者をも生き返らす水の入ったひょうたんが手に入った。末弟は父を甦らせようと思ったが、既に岩は閉じ、棺桶はどこにもなかった。帰り道、末弟が死後かなり経つ犬の死体に水をかけると、果たして犬は甦ったのだった。

 それ以来、末弟はひょうたんの水を使って様々な人間を助けて有名になった。

 その後、留守中に暴漢が末弟の家を襲い、金品を奪った上に彼の妻を殺して内臓を抜き、どこかに捨てた。末弟はかつて助けた犬に頼んで内臓をもらい、それを妻の体内に入れて水をかけ、甦らせた。そうしてからぼろ布で内臓を作り、犬をも甦らせた。

 妻は不思議なひょうたんの水に興味を持ち、こっそりとその水を自分の全身にかけた。すると月の女神のように美しくなったが、水はなくなってしまった。末弟は妻が美しくなったことを喜んだが水がなくなったことは惜しみ、水がかかった場所にネギと桂の木を植えた。するとネギは二尺、桂は一尺半の大きさになった。

 妻の美しさは評判になって王の耳に入り、無理やり王宮に連れ去られてしまった。彼女は悲しみのあまり口がきけなくなり、王がどんな見世物を見せても無駄だった。ついに、王は「王妃の病を治すことの出来た者に褒美を与える」というお触れさえ出した。そんな時、奇妙な売り声が聞こえてきた。

「二尺のネギと一尺半の桂の木はいらんかねぇ!」

 それは、妻を取り戻そうとやってきた末弟の声だった。すると、今まで口をきかなかった妻が「買い物をするから、すぐにあの物売りをここに連れておいで」と言った。それを聞いた王はすぐに物売りを呼び寄せ、服を交換させて自分が物売りの姿になった。末弟は王の衣装をまとうと、王に成りすまして「この物売りを焼き殺せ」と家来に命じた。妻は階下に燃える火を見て、てっきり王が夫を焼き殺していると思い、自分も共に死のうと火の中に飛び込んだ。末弟は、妻が火に飛び込んだのを見て、妻は身も心も王のものになったのだと思い、絶望して自分も火に飛び込んだ。

 火がおさまると、家来たちは王と王妃の寺院を建てようと思ったが、三つの頭蓋骨のどれが誰なのかわからなかった。それで仕方なく、三人全員を一緒に祀ることにした。

 それ以来、五徳(三本足の鉄の環で、火の上に置いて鍋をかけるのに使う)を使う際には三人の頭蓋骨にちなみ、必ず三つの石を組むことになったという。

*この話は「絵姿女房」の類話でもあるが、結末が全員死亡という悲劇になってしまっている。

 ベトナムの竈神の話では、前夫のみならず、妻と現夫までもが焼け死んで、三人共に祀られている。同じようなモチーフが、中国の鍛冶師・干将とその妻の莫邪に関する伝承にも現れている。

 『列異伝』によれば、干将は楚王に命じられて雌雄二振りの名剣を作り、雌剣を王に献じて、雄剣は石の上に生えた松の木の中に隠した。というのも、王が自分を殺すだろうと予測していたからで、身重の妻に「男児が生まれたら、このことを語り伝えよ」と言い残した。
 予測どおり干将が殺された後、妻は男児を生んで赤鼻と名付けた。赤鼻は話を聞いて松の木を切り倒したが、剣はない。ところが、思いがけないことに、家の柱の中から出てきた。松の柱だったのだろう。
 その頃、楚王は夢で赤鼻が自分を殺しに来ることを知り、彼の首に賞金をかけた。山に逃げた赤鼻は一人の旅人と出会った。旅人は彼がお尋ね者だと知ったが、話に同情して通報しようとしなかった。赤鼻は恩を感じ、自分の首をはねて王のところに持って行き、賞金を受け取ってくれと頼んだ。
 旅人は首を持って王の元へ行き、首を罪人を煮殺す大釜で煮るように申し出た。しかし、首は飛び上がり、三日三晩煮続けても爛れなかった。楚王は奇異に思って、釜に近づいて覗き込んだ。途端に、旅人は雄剣を抜いて王の首を斬り落とした。そして、自分の首もその場で刎ねた。三つの首は大釜の中で煮え爛れ、どれが誰のものか分からなくなった。その後、三つの首をそれぞれ別の場所に埋葬した。これを「三王塚」という。

 

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